Search Results
「」に対する検索結果が107件見つかりました
- 10/5/2024 音楽家と作品への雑感「ブラームス」
第15章 ヨハネス・ブラームス (Johanness Brahm) (1833年~1897年 63歳没) ブラームスはドイツのハンブルグに生まれ、幼いころからピアノを習熟し、家計を助けるピアニストとして酒場や編曲に馴染んでいた.父親は劇場管弦楽団の弦楽器奏者だった.姉と弟の三人姉弟の真ん中だった.17歳の時、優れたバイオリニストのE.レメーニ(Eduard Remenyi)と知り合い、二人での最初の演奏旅行でレメーニの友人の大バイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)を知って親交を深めた.ヨアヒムはその後もブラームスの創作の良き助言者として、終生変わらぬ友情を示してくれる.二人は更にワイマール(Weimar)を訪れ当時隆盛を極めたリストを知るが、リストとブラームスの音楽は異質で、リスト、ワーグナーの新音楽とブラームスの目指す新古典派とは生涯相いれない対立の関係になった. ヨアヒムの紹介で、デュッセルドルフに住むシューマン夫妻を尋ねたブラームスに、彼の非凡な才能をシューマンが感じ取り、各種の出版物などにブラームスを紹介する.こうして成功の道筋に乗ったブラームスだが、師と仰ぐシューマンの悲劇的な死に直面し、悲嘆にくれるその妻クララ(Clara Schumann)と子供たちと、終生に渉る親交を続けた.ウイーン・ジングアカデミー(Wiener Singakademie)、ウイーン楽友協会(Wiener Musikverein)の指揮者を務めた後、1878年からウイーンに定住.史上初の大指揮者ハンス・フォン・ビューロー(Hans von Bülow)が残した言葉 ≪ドイツ3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)≫ の一角を占める19世紀ドイツ音楽の最高の作曲家. リスト・ワグナーの新音楽とは一線を画し、歌劇、標題音楽は手掛けなかったが、ブラームスは交響曲、管弦楽曲を始め (私としては意外にも) 驚くほど多数の合唱曲を創作した. 「私の個人的経験として、会社勤めを始めた2年後の独身時代の1963年から1年間(海外研修生)と、その後に家族同伴で1973年~1977年の4年間(支店営業及び情報収集スタッフ)はドイツ(当時は西ドイツ)のハンブルグ支店に居を置いてきました.当時はブラームスがハンブルグ生まれだったことは、日本人の少々クラシック音楽に興味ある人なら誰でも知っていたように思いますが、同様にメンデルスゾーンもハンブルグ生まれだったことも知られてはいたものの、生まれ育った住居等は、ほとんど知られていなかったし分らないほど、未だ未だ、第2次世界大戦の傷跡が大きく街に残っている雰囲気で、観光目的でのブラームスの生家を尋ねて的な遺構はなかったのが事実でした.」 この度、再び視聴した演奏から、ブラームス音楽の印象を短く綴ってみたものを以下の通り示した. 交響曲第1番 :指揮者カール・ベーム(80歳)がウイーンフィルを引き連れての東京での歴史的演奏会(1975年)は何度聴いても感動する.ブラームスのどの交響曲も、混濁から徐々に美しい主旋律が現れる過程が極めて自然に上手く表現されている点が聴く者の心に響く.特に、交響曲第1番で、そのことが顕著に感じられる.もう一つの演奏で反田恭平指揮の奈良県東大寺大仏殿前庭での雨中の演奏は、本来はピアニストの反田の音楽への思いが、この悪条件の元でも直、ひしひしと感じられる演奏だった. 交響曲第3番 :ブラームスが長年かかって交響曲第1番を完成したのは、彼が43歳の時と比較的に多くの人生経験を積んだ時期だった.その後の交響曲第3番及び第4番は、ベートーベン亡き後のドイツ・ロマン派を代表的する名曲になったと思う.第3交響曲の第3楽章は重くメランコリックな、第4楽章は力感に溢れる聴きなれた美しい旋律だが、演奏機会が他の交響曲に比して少ないのは、終楽章の終わり方が静かなためと言う指揮者もいる. 交響曲第4番 :第1楽章冒頭のバイオリンが奏でる第1主題が聴く者の心を捉える.第3交響曲作曲から間もない作品なのに、ひときわ物寂しい悲しさに貫かれた、聴く者に作曲者の心情を自由に想像させる名曲だと思う. ピアノ協奏曲第1番 :大曲ではあるが、ピアノ協奏曲としては未完成で、オーケストラが主体の交響曲に付随したピアノ曲とも言われる所以を確かに感じる.第4楽章にピアノ協奏曲として流麗な美しい馴染みの旋律が現れる.A. Rubinsteinのピアノ演奏(BBC Symphony)を聴くと、他の演奏者の時より、この曲が稀代の名曲に聴こえてくるのは不思議な感覚. ピアノ協奏曲第2番 :ピアノを伴う交響曲と言われるが、第1番から20年を経過しての作曲.イタリア旅行に触発されて作曲したとのことだが、濃厚なドイツ色で、壮大なピアノに加え、演奏では管弦楽が重要なポジションにあると感じる名曲. ピアノ五重奏曲 :重厚感と雄大さを持つピアノが弦楽四重奏との競演で展開する叙情性と情熱に溢れたブラームス31歳の時の傑作である. バイオリン協奏曲 :ブラームス45歳の年(1878年)に作曲した名曲で、田園的なリリシズムが曲想ににじみ出ているのは、オーストリアの田園で作曲し始めたためか.独奏パートは友人のヨアヒムの助言を仰いだと言われている(注). (注)ブラームスのバイオリン協奏曲の初演バイオリニストとして、後世に名を残したヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim 1831年~1907年)の活躍も忘れてはならない. バイオリン・ソナタ :第1番「雨の歌」は、彼が最も旺盛な創作を展開していた46歳の時期の作品で、イタリア旅行から得た南ヨーロッパ的な解放感や情熱と、ブラームス特有の北ヨーロッパ的な叙情が混ざり合った傑作.第2番、第3番も綺麗な優しい旋律が続く.シェリング(Friedrich Schelling)(Vn) / ルビンシュタイン( A. Rubinstein)(Pf)の演奏はひと際、情感あふれる演奏だ. ドイツ・レクイエム(全7曲) :マルチン・ルターのドイツ語訳「聖書」を元に、一般的なミサ曲とは一線を画し、死者ではなく生き残った者の悲しみに目を向けられている.作曲のきっかけはシューマン追悼の意味があったとされている.4曲目は美しい旋律、5曲目は高音のソプラノ・ソロをフォローする合唱.6曲目はバリトン・ソロをフォローする合唱で、伝統的なレクイエムの “怒りの日” に相当する曲で、迫力ある曲想で盛り上がる.今回聞いた演奏では特に、東京での ≪ブロムシュテット指揮(Herbert Blomstedt)/ ゲヴァントハウス管弦楽団(Gewandhausorchester Leipzig)/ ウイーン楽友協会( Wiener Musikverein)≫ が、素晴らしいの一語に尽きるものだった. クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115 :自らの創作力が枯渇したと感じ、作曲の筆を折ろうと決心した頃、ミュールフェルト (Richard Mühlfeld) という優れたクラリネット奏者と出会い、再び創作欲を刺激され1891年に完成した、彼の作品の中で最も諦観とリリシズムが漂う作品で、クラリネット五重奏曲としてはモーツアルトのそれと並び称される傑作. 弦楽六重奏曲第1番 作品18 :彼が27歳の時(1860年)の作品で.低音の厚みのあるオーケストラ的な響きの中で、ブラームス特有の憧れに満ちたリリシズムがいっぱいに広がり、のどかな感傷的な甘さが漂う旋律は、時に映画音楽にも使われる. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.
- 7/9/2024 4月13日(土)APA国際室内音楽祭、小金井宮地楽器ホールでブラームス、Piano Trio op114を弾く
昨年12月に吉祥寺で弾いた、Brahms op114 を小金井宮地楽器ホールで開催された第六回国際室内音楽祭において、鳥井一行 さん (ピアノ)と Dr. Steffen Luitz (チェロ)と弾く.初来日のSteffen は米国でピアノ・トリオを一緒に弾いているチェリストでお互いに勝手がわかっているので弾きやすかった.ピアノは前回 Mendelssohnでご一緒したプロ級のピアニスト鳥井さんにお願いした. 米国でトリオを一緒に弾いているピアニストのNormも米国から参加した.彼はSchumannのピアノ五重奏曲 op44 を日本の演奏家と熱演.大変に限られたリハーサルの時間で5人で本番レベルまでもっていくのはアマチュアにとっては至難の業だと思う. 夫々にとって今回の日本滞在は特に楽しい思い出になった.
- 6/28/2024 音楽家と作品への雑感「ハイドン」
第14章 フランツ・ヨゼフ・ハイドン ( F ranz Joseph Haydn ) (1732年~1809年 77歳没) オーストリアのローラウ (Rohrau, Austria) に生まれる.父親は音楽好きの車大工. 12人兄妹の長男に生まれたハイドンは、楽才があり6歳で義理の叔父に引き取られ教育を受けた. 8歳でウイーンのシュテファン教会合唱隊に採用されたが変声のため17歳でそこを去り、27歳でボヘミヤのモルツイン伯の音楽隊長に就職し作曲活動に入る. 翌年にはウイーンのかつら屋の娘マリアと結婚するが、彼女は稀代の悪妻として生涯ハイドンを苦しめることになる. 29歳で芸術に熱心なエステルハージー侯の管弦楽副団長としてアイゼンシュタットに着任し、34歳で楽団の団長になり、その後25年間その地位に留まり、多くの作品がそこで書かれた. ハイドンは古典派音楽の形成期の最も重要な作曲家であり、交響曲・弦楽四重奏曲などのソナタ形式による絶対音楽に優れた作品を多く残し、モーツアルト、ベートーヴェンに受け継がれて最盛期を迎えるウイーン古典派の基礎を築いた. 私はハイドンの曲はあまり近年には聞く機会がないと思いながら、手持ちのメディアを順番に聴いてみたら、意外にもかなり聴いていると感じた次第である. 若い頃は交響曲は沢山聞いていたが、耳に残る旋律が多く、それが今回聴き直しての感想だ. 交響曲第96番 “奇跡“、交響曲第100番 “軍隊“、交響曲第101番 “時計“の3曲は、ハイドンが2度目のロンドン訪問中に作曲(第98番~第104番)した円熟しきった名作だと改めて思った. 弦楽四重奏曲も、いずれも名曲揃いで、特に第75番、第76番 “五度“、 第77番 “皇帝“、第78番 “日の出“の中では、第77番 “皇帝”が、自作のオーストリア国歌 「皇帝讃歌」(現在のドイツ国歌)を主題とする美しい旋律で印象に残った. 大曲のオラトリオ 「天地創造」 は今回、1曲のみしか聞けなかったが、大変美しい曲と感じたので、近いうちに全曲を通して聴き直したいと感じた. 尤も、ヘンデルのオラトリオがハイドンの手本になった由なので、ヘンデルのオラトリオも是非もっと聞く積りでいる. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.
- 3/13/2024 音楽家と作品への雑感 「グリーグ」
第13章 エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ ( Edvard Hagerup Grieg ) (1843年~1907年64歳没) 祖父がスコットランドからノルウエーに移住してきたが、ライプチッヒ音楽院で学び、その後にドイツ・ロマン派の影響を受けながらも、ノルウエーの民謡や民族舞曲の要素を取り入れた独自の音楽の確立で、生前から業績が認められていた. 北欧の音楽はあまり沢山は聴いて来なかったが、シベリウスよりも グリー グ の方が私には親しみやすい優しさを感じる作曲家だと改めて気が付いた. ※ピアノ協奏曲 イ短調 ヴァン・クライバーンの演奏は、この曲の抒情的旋律を見事に表現している. ※ペールギュント組曲 第1番&第2番は戯曲に付けた曲らしく、ちょっと陽気な旋律が耳に直ぐに馴染む. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.
- 1/20/2021 Burton-Hill 著書 "Year of Wonder" について
本ブロッグで頻繁に参照されているBurton-Hill 著「Year of Wonder」はクラシック音楽愛好家ではない多くの若い読者によって「一年を通して啓発されまたクラッシク音楽を楽しめる本だ」 との高い評価を受けている. 著者のBurton-HillはバイオリニストでもありBBCラジオのパーソナリティでもあり、著者が一年を通して、インスピレーションあふれる一日一曲を選曲し、素人向けに解説するクラシック音楽入門書である. 「クラシック音楽は、退屈で、解らない」あるいは高齢者ファンが絶対的に多いこともあって「瀕死のアートフォーム」だとも言われている. その「退屈で解らない」クラシック音楽に対する評判を覆す試みをBurton-Hillがこの本でしている.彼女自身、受賞歴のある作家、放送局のアナウンサー、バイオリニストであり、クラッシック音楽の芸術形式への深い造詣と、その多様な音楽の「美」への情熱を持っている.その知識、情熱を「Year of Wonder」を通して読者と共有したいというのが彼女の願望で「クラシック音楽を楽しむための唯一の要件は、開かれた耳と開かれた心です」と説いている. 「Year of Wonder」はバッハ、ベートーベン、モーツァルト、プッチーニからガーシュウィン、クララ シューマン、フィリップ グラス、デューク エリングトン、そしてその他の一般的には見過ごされがちな音楽家、作品を含み、幅広いジャンル、時代に渡る音楽の宝庫の中から一日一曲が読者に紹介されている. 慎重に選ばれ、巧みに研究された「Year of Wonder」は「音楽の楽しみを」教えくれる一冊であると思う. Year of Wonder (コピー) https://www.google.com/books/edition/YEAR_OF_WONDER_Classical_Music_for_Every/WS43DwAAQBAJ?hl=en&gbpv=1&printsec=frontcover Year of Wonder (オーディオ) https://www.audiobooks.com/book/stream/345344
- 3/12/2024 音楽家と作品への雑感「シベリウス」
第12章 ジャン・シベリウス (Jean Sibelius) (1865年~1957年91歳没) シベリウスはヘルシンキ大学で法律を学び、その後に音楽に転じ、ヘルシンキ音楽院で国民音楽の祖と言われる人物に出会いベルリン、ウイーンに留学. 題材をフィンランドの伝承叙事詩「カレワラ(Kalevala)」に求め、標題音楽と交響曲に優れた作品を残した. ※交響曲第2番 ニ長調:イタリア滞在中の印象を反映させた1902年完成の曲で、一般的に一番多く演奏されるようだが、第4楽章を除いては演奏ボリュームの増減幅が大きく、私にとっては聴きずらい曲だ. ※交響曲・第4番 イ短調:情熱と暗い幻想を宿した内面的な楽想には通俗味はないが、この曲を彼の最大傑作と認める人も少なくないというが、私にはやはり暗いイメージが払しょくできない. 交響詩「フィンランディア」が彼の最高傑作だと私には思える. ※ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47:交響曲作曲家シベリウス唯一の協奏曲.第1楽章はやや難解.第2&第3楽章は綺麗なメロディもあり聴きごたえある.アンネ・ソフィーネ・ムッターと諏訪内晶子の演奏を聴いたが両方とも素晴らしい演奏だ. ※セレナーデ 第1番&第2番及びユーモエスク 第1番:いずれも楽器ヴァイオリンの音色を最大限に聴かせる曲と感じたが、演奏家にとっては難曲ではないかと思われる. ※交響詩「フィンランディア」 作品26 帝政ロシアの圧政から逃れたいとのフィンランド国民的な強い想いを現した力強い曲想. ※交響詩「タピオラ」「トウオネラの白鳥」は灰色の景色の曲で、好みには合わない.「レンミンカイネンの帰郷」は行進曲風のリズム感が良い. 7つの交響詩を残したシベリウスは20世紀最大のシンフォニスト(交響曲作曲家)の一人と考えられている.シベリウスの交響詩は北欧伝説に出てくる「カレワラ(Kalevala)」やフィンランドの自然にまつわる神話に基ずいて作曲された. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.
- 11/8/2021 音楽家と作品への雑感「メンデルスゾーン」
第3章 フェリックス・メンデルスゾーン(-バルトルディ) Felix Mendelssohn-Bartholdy (1809年~1847年、38歳没) メンデルスゾーンがドイツ・ハンブルグで生まれたと書物には書かれているが、彼の生家がどこだったのかは、通算5年間ハンブルグに住んでいた小生には分かっていない. 同じように、ハンブルグに生を受けたブラームスの場合は、生家と博物館らしき物が現存するのに比べ、裕福な家系で恵まれた環境で教育を受けて育ち、神童と呼ばれるほど幼くして音楽の才能に溢れていたのに、その生家が少なくとも一般には公開されていないのは何故なのかと小生は未だに不思議な気がしてならない.ユダヤ系の祖父は哲学者でモーゼス、父は銀行家でアブラハムという名前だけでも凄いと思うが、幼くして一家はベルリンに移った.ライプチッヒ音楽院の設立により19世紀の音楽界へ大きな影響を与えたこと並びに当時は忘れかけられていたバッハ音楽に傾倒し、その復興に大きな役割を果たしたことは数々の名曲の作曲以外の彼の大きな功績である.ドイツを離れた時期にはイギリスには度々、イタリアにも出かけていて、その印象を交響曲第3番「スコットランド」、第4番「イタリア」として作曲している. メンデルスゾーン作曲と言えば、真っ先に思い起こすのが甘美なメロディーの「バイオリン協奏曲」※③であり、交響曲第3番「スコットランド」※①、第4番「イタリア」※②だと思う.他にも管弦楽曲「真夏の夜の夢」、序曲「フィンガルの洞窟」※④なども良く聞くが、他の著名な同時期の作曲家に比べて、普段に演奏される作品数は意外と少ないことに改めて気づいたが、私の感覚は実際に正しいかは確かめていない. ところで、メンデルスゾ-ンの有名な「結婚行進曲」は「真夏の夜の夢」の第8曲目の一曲だが、同じように日本では有名なワグナーの「結婚行進曲」は楽劇「ローエングリーン」の第3幕の一曲である.ヨーロッパでは「ローエングリーン」が、あまりにも悲劇的ストーリーなことで、ワグナーの「結婚行進曲」は結婚式には向かないと思う人が多いことは時に知っておく必要がある. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品のリストをご参考まで下記、表にした. ※①交響曲第3番イ短調(作品56)「スコットランド」:1829年にイギリスに演奏会で出かけた時に作曲を始め、完成したのは13年後の1842年で、全4楽章は切れ目なく演奏される. ※②交響曲第4番イ長調(作品90)「イタリア」:1831年のイタリア旅行中の印象を作曲したもので、豊かな旋律、軽快なリズム、終楽章のローマの舞曲(サルタレロ)で、イタリアの印象が強く出ている馴染みやすい曲. ※③バイオリン協奏曲ホ短調(作品64):メランコリックで甘美なソロ旋律で始まるメンデルスゾーンを代表する名曲.着想から完成まで6年間も費やしていて、ライプチッヒのゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスター、F. ダヴィッドに献呈された. ※④序曲「フィンガルの洞窟」作品26:ロンドンへ演奏旅行中にスコットランドの島の奇勝の大洞窟を見学した印象を描いたとされる一流の風景画家を思わせる曲. 2021年11月7日記
- 4/12/2022 音楽家と作品への雑感 「シューベルト」
第4章 フランツ・ペーター・シューベルト Franz Peter Schubert (1797年~1828年 31歳没) 第4章にシューベルトを選んだ理由は何故か? 一昨年 (2020年) はベートーベン生誕250周年記念の年、昨年 (2021年) は5年振りのショパン国際コンクールの年で、それぞれの年に対象の作曲家の作品を演奏するコンサートやテレビ放送が非常に多く、少々聴き飽きた一方、シューベルト作品を聴く機会が少なかったので、じっくりと聴きたいと思った次第. ウイーン近郊のリヒテンタール (Lichtental) に生まれたシューベルトは、農民出の教師の父親の最初の妻との間の14人の子供の第4子だった. 幼い頃に父や兄から楽器の手ほどきをうけ楽才を発揮していたが、12歳で王立礼拝堂の児童合唱団員として神学校コンヴィクト (Konvikt) に入学. 初等から高等学校までの課程を修了すると共に音楽の専門教育を授けられた. 16歳でコンヴィクトを去り、父親の手助けをし師範学校に通いながら作曲活動を始めたが、楽器演奏は左程の才能が無かったようで、音楽教師をしながら弟子たちからの支援で生計を立てていた. 生地リヒテンタールの教会で初演した 「ミサ・ヘ短調」 のソプラノ歌手、テエレーゼ・グローヴ (Therese Grob) 、に想いを募らせたが彼の内気な性格で実らなかったが、その後、19歳頃から作曲した「交響曲第4番」「第5番」や「鱒」「死と乙女」などでは、既にシューベルトの歌曲作曲家としての作風の充実と完成を見せている. 20歳の頃、以前から世話になっていた詩人の F.ショーバー (F. Showbar) の紹介で知り合った20歳年上のバリトン歌手、ヨハン・フォーグル (Johann Vogel)、 と無二の親友になり、シューベルトのリード(歌曲)が彼の公開演奏で好評を博し、良き友人の助力で彼の名声は次第に高まり、シューベルトを中心とした友人たちの集まり「シューベルティアーデ」 (Schubertiade) が結成された. 20歳代後半に「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」や「交響曲第7番《未完成》」等を次々と作曲し、30歳の時に尊敬していた同じウイーンの大作曲家ベートーベンが3月に没し、彼も松明を持って葬列に参加している. その年の9月にはグラーツ (Graz)を訪れ自作の演奏会を開いて快適な日々を送り、「即興曲」「楽興の時」など作曲した. その翌年3月の自作発表会で大成功を収め、初めて大金を手にした彼は借金を返済し、友人にご馳走し、念願の新しいピアノを買って大金を使い果たした. その年の10月にハイドンの墓参に出かける旅立ちをした. その後は健康が急激に悪化し11月にチフスと診断され生涯を閉じた. 本人のうわ言を尊重して遺骸は尊敬するベートーベンの墓の近くに埋葬された. 交響曲第8番 「ザ・グレート」 は聴きとおすのが大変な長さだと、学生時代にレコード観賞会で講師が紹介していたことを時々思い出すが、私の今の年頃には丁度良い長さに思えて、心が休まる旋律が流れる大変な名曲と感じる. 聴きなれたカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴くと私は特に落ち着く. 又、デーヴィット・ジンマン指揮NHK交響楽団 (2009年) 演奏も大変に楽しめる. 交響曲第7番「未完成」も劣らぬ名曲だが、副題が 「未完成」 と言うだけあって、もう少し長く聴きたいと思うのは勝手な贅沢かも知れない. 交響曲第2番はモーツアルト的だが第4番 「悲劇的」 になるとベートーベン的な弦の重厚な響きが随所に聴こえる. ピアノ曲 「楽興の時」 は歌曲を彷彿させる美しい旋律が随所に表れ、特に第3番(ヘ短調) はNHKの音楽番組のオープニングにも使われてから一般にも愛好されている. ピアノ五重奏曲 「鱒」 は眞に名曲. ヤン・パネンカ (ピアノ) とスメタナ四重奏団の録音は聴く度に魂を揺さぶられるほどの名演奏、名録音だと感じる. ピアノ三重奏曲第2番は長調ながら悲しげな短調的旋律が随所に流れシューベルトらしい名曲だと思う. 最後のピアノソナタ第21番は眞に神聖な天上の音楽と言うにふさわしい至高の傑作である. 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 は歌唱力のあるディートリッヒ・フィッシャーディスカウの演奏で、ごつごつしたドイツ語の発音を緩急の曲がほぼ順番に並べられた美しい歌曲を全曲通して聴くことができる. 歌曲集 「冬の旅」 はハンス・ホッターの歌で全曲をこれまで数度聴いたが 「おやすみ」「菩提樹」「春の夢」 以外は暗い曲であまり好きになれないのが正直なところ. ずうっと現代に近いクリスティアン・ゲルハーヘル (バリトン) とゲロルト・フーバー (ピアノ) の全曲を聴いたが、こちらは遥かに聴きやすく歌詞が説得力ある内容として伝わってきた. 作曲家の死の1年前に書かれた曲で、死に対する不安、恐怖、絶望などが表現されているのか. かのアインシュタインによると、シューベルトが偉大な作曲家になったのは、連弾曲が友情の証だから…とか、ピアノ連弾にも佳作が多い. シューベルトの曲は簡潔な中に高い芸術性がある気がする. シューベルト曰く、「私が愛を歌う時、それは苦悩となる. 私が苦悩を歌う時、それは愛となる」. 眞に、至言であると思う. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.
- 5/5/2022 音楽家と作品への雑感「リスト」
第5章 フェレンツ・リスト Ferencz(Franz)List (1811年~1886年 74 歳没) リストは当時のオーストリア帝国領内のハンガリー王国の寒村ライディング(Raiding)で生まれた.父親はハンガリー貴族エステルハージ侯(Marquis Esterházy)の執事、母はドイツ人だった.両親が音楽に造詣が深かったことから自然にピアニスト及び作曲家としての道を進んだ.本人は生涯を通じてハンガリー人としての気概は高かったがハンガリー語は話せなかった.パリのサロン生活でフランス語に精通し、ショパン、ベルリオーズなどと知り合い、美貌の伯爵夫人マリー・ダグー(Comtesse Marie d'Agoult)と知り合い結婚し、娘コジマ(Cosima)~ 成人して、指揮者ハンス・フォン・ビューロー(Hans von Bülow )夫人、その後にワーグナー夫人となる ~ をもうける.後にドイツのワイマールに定住して、ドイツ語にも堪能でワイマールを嘗てのゲーテ、シラーの全盛期を偲ばせる隆盛に持って行った.晩年のリストは、その精力のほとんどをワーグナーの大きな理想であった「総合芸術」に向けて費やした.ロマン派音楽をワーグナーと共に派手に行動的に表現し、宗教音楽への精進を決意し聖職に入った晩年であった. 作曲では交響詩というジャンルを確立したが、改めてリストの作品を聴き直すと超技巧ピアノ曲が数多く、演奏家にとっては演奏が至難の技であろうと改めて思った.兎に角、的確な表現ではないかも知れないが、後のワーグナーに近い作風であり、難解な作曲家ではある. 以前、あるピアノ講師から聞いた話ではリストの作品を演奏するには、手の指を強化する必要性は許より、手の指が大きいか、差ほど大きくなくても指が十二分に開かないととても演奏できないそうだ. 「パガニーニ大練習曲(全6曲)」の第3番 ≪La Campanella≫ は特に有名で、他にも「愛の夢」や「ハンガリー狂詩曲(全19曲)」の第2番や「ピアノ協奏曲第1番」が耳馴染みのあるメロディーである.しかしリストの作品は「超技巧練習曲」と銘打った曲を始め、それ以外でも本当に息つく暇もないようなリズム、テンポ、メロディーの曲が多くポリーニ (Pollini)、ポレット (Polet)、キーシン (Kissin)などの名手で聴くことが出来る今日の時代に聴くとこができ良かったとつくづく思う. 1曲だけの「ピアノソナタ ロ短調」は40歳代の作曲で、シューマンがリストに贈った「ハ長調幻想曲」に対する返礼として、リストがシューマンに献呈された作品であるが、演奏時間30分が単一楽章で構成されている.初演は音楽教師としてのリストの高弟(門下生)であるハンス・フォン・ビューローにて行われ賛否両論あったが、今日ではピアノソナタの傑作の一つと評価されている.ピアノソナタと言っても“ドラマティックな展開の華麗な曲想“でピアノによる幻想曲か交響詩と言っても良い. リストは交響詩という音楽構成の生みの親であるが、交響詩「前奏曲」と交響詩「マゼッパ」を改めて聴き直した.リストの一つのパターンである暗黒から光明~闘争~憩い~勝利といったプロセスで曲は構成されていて、大方は激しく時に静かに演奏されて行く. 「スペイン狂詩曲」には、この旋律の中にアメリカ映画のアラモの砦のメキシコ軍との攻防を描いた話題作「アラモ」(監督・主演ジョン・ウエイン)のテーマ曲と非常に似た旋律が出てくることを、私は10数年前にピアニストの演奏会で気づいている. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.
- 5/22/2022 音楽家と作品への雑感「ドボルザーク」
第6章 アントン・ドボルザーク Antonín Dvořák (1841年~1904年 62歳没) チェコのプラハ近郊のネラホゼヴィス (Nelahozeves, ドイツ語名 ミュールハウゼン, Mühlhausen) に生まれ、オルガン学校で学んだ後、チェコ国民歌劇場のビオラ奏者を務めながら、同劇場の指揮者であったスメタナからチェコ国民音楽の創造に強い影響を受けた. オーストリア政府奨学金を獲得した際に、その審査員であったブラームスの知遇を得て、作品が世に出るようになり、作風もブラームスの影響を強く受けている.アルト歌手アンナと結婚し、ビオラ奏者を止めて教会のオルガニストに就任.ブラームスはドボルザーク独自のスラブ様式を高く評価し、以後二人は終生変わらない友情で結ばれる.取り分け、ブラームスの推挙の出版社からの依頼で作曲した「スラブ舞曲第1集」(37歳時作曲)※① は彼の名を一躍有名にした.イギリスにも数回旅した順調な歩みの間に、長女を含む3人の幼児が相次ぎ死ぬという不幸に見舞われ、名作「スターバト・マーテル」※② は、この悲しみを聖母マリアに見出したカンタータである.プラハ音楽院教授にも就任し、米国のナショナル音楽院からの招きで渡米し、名曲「交響曲第9番 “新世界より“」※③ を作曲し、「弦楽四重奏曲 第12番 “アメリカ“」※④、「チェロ協奏曲」※⑤ と2年間で代表作品を次々と作曲している.他にも、「セレナード ホ長調」※⑥ も美しい. チェコの民族主義音楽はスメタナによって開拓され、ドボルザークによって国際的な広がりを見せた.スメタナが交響詩や歌劇で民族主義を打ち出したのに対して、ドボルザークはブラームスの影響が強く、積極的なチェコ民族音楽の響きは少なく、むしろ、郷愁の甘美さへの陶酔すら感じさせる. ※①「スラブ舞曲 第1集」(1878年作曲)の8曲はジムロック(Simrock)出版社からブラームスの「ハンガリー舞曲集」と同じ趣向の作品を依頼したことにより作曲.「スラブ舞曲 第2集」(1887年作曲)は第1集の成功により、その後に作曲された.民族音楽の面白さに加えて管弦楽曲として楽しめる. ※②「スターバト・マーテル」は、私が高校大学時代を通して所属していた混声合唱団倶楽部で1958年に東京のホールで全曲を歌った想い出のある曲で、改めて聴き直すと、穏やかな気持ちにさせられる大変な名曲である.「スターバト・マーテル」の作曲ではロッシーニ他の名曲もあるようなので、時間を見つけて是非一度は聴いてみたいと思う.⇒ 当時、混声合唱団で使用した楽譜. ※③交響曲第9番“新世界より“」は、ドボルザークの最後の交響曲で、特に演奏機会が多い名曲.アメリカの音楽院の校長として3年間ニューヨークで過ごした時の赴任直後に作曲された.アメリカ音楽の影響も多少感じられるが、アメリカからボヘミアへの郷愁を音で綴ったという印象の方が強い.直、「交響曲第8番」は“新世界より”に続き演奏機会が多い交響曲で、自然に音楽が流れ最もメロディーが多い名曲と言われているが、私は未だ聞く機会が少ないためか、今回の再聴では左程の共感を持てなかった. ※④「弦楽四重奏曲 第12番 “アメリカ“」は、“新世界より”と同じく、アメリカ滞在中にチェコ移民の住むアイオワ州の村で作曲された曲で、同郷の人達に囲まれ、随所に郷愁を誘う美しい旋律が満ちている私の大好きな名曲. ※⑤「チェロ協奏曲」もアメリカ滞在中の作曲で、超絶な技法のチェロと豪勢な響きの管弦楽が交響曲的に絡む作品で、古今のチェロ協奏曲中でも最高傑作の一つである. ※⑥「セレナード ホ長調」作品22は弦楽合奏からなる5楽章の作品だが、聴き心地のよい美しいメロディーが弦のみで奏でられる名曲である. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.
- 6/15/2022 音楽家と作品への雑感「スメタナ」
第7章 フリードリッヒ・スメタナ Friedrich Smetana (1824年~1884年 60歳没) チェコのパルドウビュッツ州(Litomyšl リトミッシェル)の酒造家に生まれ、単身プラハに出てピアノと作曲を学んだ.ボヘミア地方は当時、オーストリアの支配下にあり、チェコ独立革命運動が盛んで、スメタナも民族運動に加担して、義勇軍のための行進曲を書いたりしていたが、スエーデンのイエテボリに5年間難を逃れて指揮者を務めていた. 作品の中で「モルダウ」が特に有名で演奏される回数も多いが、これは連作交響詩「わが祖国」(全6曲)※①の第2曲目である.改めて全曲(演奏時間80分間)を聴き直してみると、「モルダウ」がエルベ川の上流にあたる大河の激流と小波を見事に表している名曲だと思う一方、他の5曲はチェコ民族の団結を意図して作曲されている感がして、闘争的な旋律や音響を感じる部分が多く、21世紀の現在のロシアによるウクライナ侵攻という理不尽な戦闘行為を目の当たりにしている時期でなく、平穏時に聴くと大変重苦しい感じがするだろうと思った. モルダウ川(Vltava ヴルタヴァ川)はチェコ北部に端を発し、ドイツ東部を流れ北海に注ぐ全長1091Kmの長い川.流域の主な都市はチェコのプラハ、ドイツのドレスデン、マグデグルグ、ハンブルグ.私はハンブルグに1960年代、70年代の2回に分けて5年間住んでいたので、エルベ川には色々な想い出があるだけに作品「モルダウ」を聴く度に思い出が蘇る. ※①連作交響詩「わが祖国」 1「ヴィシェフラド(Vyšehrad)」:プラハの丘の上の城の名前 2「ヴルタヴァ(Vltava)」(モルダウ(Die Moldau)):川の名前 3「シャールカ(Šárka)」:女戦士の名前 4「ボヘミヤの森と草原から(Aus Bo”hmens Hain und Flur)」:風景描写 5 「ターボル(Tábor)」:強く戦ったフス教徒の陣営の名前 6「ブラニーク(Blaník)」:砦のあった山の名前 ※②「ピアノ三重奏曲 ト短調」 各楽器の自己主張と調和とが程よく交差する民族的な旋律の曲. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.