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「」に対する検索結果が109件見つかりました

  • 2/18/2025 音楽家と作品への雑感「モーツアルト」

    第16章 V. アマデウス・モーツアルト (No.1) (Volfgang Amadeus Mozart)    (1756年~1791年35歳没) モーツアルトの出生地ザルツブルグはカトリックの勢力の強いローマ風の小都市であった.父親レオポルトは姉のナンネルルと弟のヴォルフガングに幼少時からクラヴィアを習わせたが、ヴォルフガングは異常なまでの才能を示していた. 父は6歳のヴォルフガングと11歳のナンネルルを連れてミュンヘンに演奏旅行を試み、その後の10年間はパリ、ロンドン、アムステルダム並びにイタリアへの演奏旅行で費やされた.17歳からの7年間、 ヴォルフガング はザルツブルグの宮廷音楽家として活躍する.マンハイムへ旅した際にウエーバー家のアロイジアに恋心を抱くも失恋するが、その後 アロイジアの 妹コンスタンツエと26歳で結婚する.25歳でザルツブルグ大司教と決裂し、独立した音楽家を目指して以降はウイーンに定着する. 次々と作曲する作品は市民に熱狂的に迎えられたが、妻のコンスタンツエは家計を切り盛りする能力に欠け必ずしも経済的な成功を意味しなかった.長男、三男、父親の死に遭遇し、自身も重病を経験する羽目に陥って、世俗的な成功とは裏腹の、暗い物心両面の生活のうちに最後の4年間を迎える.32歳(1788年)の2か月間に所謂、3大交響曲を完成し、34歳の年に歌劇「魔笛」の完成を間近に、鼠色の服を着た未知の男の訪問を受け「レクイエム」の作曲を依頼され、未完のまま35歳でこの世を去った. この度、視聴した演奏からモーツアルト音楽の印象を短く綴ってみたものは下記の通り. 交響曲 :モーツアルトが生活苦の最中にあった1788年の2か月という短い期間に、後に「最後の三大交響曲」と話題にされる交響曲第39番、第40番、第41番《ジュピター》が作曲された.第39番の晴朗な美しさ、第40番の高貴な哀しみ、第41番の輝かしい壮麗さのどこにも、暗い世俗的な影が見えない素晴らしい作品.モーツアルトの全41曲の交響曲の中で短調で書かれているのは第25番と第40番のみ.近年の演奏会録画ではニコラウス・アーノンクール指揮のウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(2006年、東京公演)の第39番、第40番、第41番の連続演奏がモーツアルトの生まれ故郷の音色を感じさせる演奏で、際立って心に沁みた. 協奏交響曲 :協奏交響曲 変ホ長調 K.364は思い出のウイーン楽友協会での演奏会の現地で購入したCDで聴いたが、モーツアルトがマンハイム・パリの旅行(1797~99年)の際に、当時の演奏会でもてはやされていた複数の独奏楽器による協奏交響曲をザルツブルグに帰郷後に作曲した名曲. ヴァイオリン曲 :ヴァイオリン協奏曲第3番の第1楽章はオーケストラとソロの掛け合いの妙、アダージオの極めて美しいメロディが心地よく響く.第5番は第3楽章の中間部に突如トルコ風のリズムを持つ楽想が現れ、名手ユーディ・メニューインの演奏はモーツアルトのヴァイオリン協奏曲の中でも最もポピュラーな名曲を楽しませる名演. 管弦楽曲 :セレナード第13番《Eine Kleine Nachtmusik》はやはり名曲.今回はオトマール・ズイトナー指揮/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とフルトヴェングラー指揮/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴いたが改めて思った.ディヴェルティメント(喜遊曲)ニ長調をイ・ムジチ合奏団で聴いたが清澄な軽やかな演奏で素晴らしい.第17番はメヌエットを2つ持つ6楽章から成り、特に第3楽章メヌエットは、所謂《モーツアルトのメヌエット》といて有名. クラリネット協奏曲 :クラリネット協奏曲イ長調 K.622も思い出のウイーン楽友協会での演奏会の現地で購入したCDで聴いた.友人アントン・シュタードラー(クラリネット奏者)のために亡くなる数か月前に作曲したオーケストラとソロが程よい比率で織り込まれている名曲.クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581は「シュタードラー」の副題が付くが、この曲も友人のために作曲しただけあって、感情表現の濃さや、楽器の協奏的な扱いと室内楽的な緻密さも、楽器の編成も申し分ない名曲中の名曲.特にレオポルト・ウラッハ (Cl)/ウイーン・コンツエルトハウス四重奏団の演奏はウイーンの演奏様式の醍醐味を満喫させてくれるものであり断然良い. フルート協奏曲 :フルートとハープのための協奏曲K.299はパリ滞在中にド・ギーヌ公爵の依頼により作曲された作品で、ソロ楽器の特性をフルに活用した優雅な楽想、流麗な 曲運びなど上品なサロン風の音楽に聴こえる.フルート協奏曲第1番より第2番の方がより美しいがジェームズ・ゴールウエイは天性のフルーティスト. フルート四重奏曲 第1番~第4番までも聴いたが、ソロ楽器としての弦楽器団との音の相和性はフルートよりもクラリネットの方が可成り高いと私は感じた.モーツアルトもフルートという楽器の機能性の不足や音程の不安定さなどの理由で、あまり好まなかった楽器だったとの記録があるようだ. ピアノ・ソナタ並びに協奏曲 :ピアノ・ソナタ第1番~第7番及び第9番はグレン・グールドの演奏で、どれも心地よく 聴ける佳作.ピアノ・ソナタ第8番はディヌ・リパッティの演奏が絶妙.ピアノ・ソナタ第11番《トルコ行進曲付》は速いテンポとリズム感が抜群に心地よい名曲.ピアノ協奏曲第20番及び第21番はモーツアルトの全作品の中でも極めて美しい名曲.第21番はバレンボイムとリパッティの演奏で、特に第2楽章がスエーデン映画「短くも美しく燃え」に使用されたこともあり、はかなくも美しい旋律が心に沁みる.第23番はルービンシュタインの演奏で聴いたが、メランコリックな旋律の第2楽章シチリアーノによるアダージオ、第3楽章のロンドは特に記憶に残る.藤田真央のスイス・ヴェルビエ音楽祭2021のモーツアルト・リサイタルは、真に軽やかに、エネルギッシュに見事な演奏.ピアノ・ソナタ第10番を演奏するホロヴィッツには、あの巨匠アルゲリッチが仰け反るように、その精緻な鍵盤上の柔らかいタッチを褒めているシーンが映って感動する.現代最高のピアニストのアルゲリッチ&バレンボイムによる”2台のピアノのためのソナタ”1曲と ”ピアノ連弾ソナタ”3曲は、二人の息の合った貴重な名演奏だった. 宗教曲 :モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」は名曲中の名曲.マリア・スターデルのソプラノを久し振りに聴き直した.ミサ「戴冠式ミサ」も久し振りに聴いた.音楽史上最高のレクイエムと言われる「レクイエム」は学生時代に合唱団メンバーとしてステージでも歌ったが何度聞いても心が落ち着く名曲だ.レコードで聴く、カラヤン&ベルリンフィルも良いが、ビデオで観るクラウス・マケラ指揮のロイヤル・コンチェルト・ヘボウの演奏は圧巻だ.又、ザルツブルグのフェルゼンライトシューレ(Felsen Reit Schule)のムジカ・エテルナ管弦楽団及び合唱団による演奏並びにウイーン楽友協会合唱団の日本での演奏会のビデオ録画演奏も個性的で素晴らしい. アリア曲 :シュワルツコップの歌で20曲ほど聴いたが特に「すみれ(Das Vilchez)」や「春へのあこがれ( Sehnsucht nach dem Frühling )」が気に入った. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに 下記の表にした.

  • 12/31/2024 本のレビュー、有吉佐和子著、「蒼い壺」(出版社:文春文庫)

    <あらすじ> 青色の壺が偶発的に作られ、妻に褒められる内弁慶な陶芸家、省造. その壺はデパートで売られ、引退した夫婦に購入され、その夫婦は会社でお世話になった上司へ贈答品として送る.そして、また別の夫婦の家へ、、、   その後、壺は海外に渡り、複数の家庭で保存され、また日本に戻ってくる. 筆者 は 「 蒼い壺 」 を通してその間の戦中や戦後の様々な家庭事情を描く.   最後に壺が偶然にも、省造と古美術の鑑定士の前に現れる. 鑑定士は「これは貴重な芸術品で価値も高い」と言うが、省造は確かに自分が作った壺だと思う.そのままタクシーに乗って帰る省造は、運転手の何気ない話を聞きながらも、「青い壺」のことが頭から離れない.   <ブッククラブでの感想> 無名の陶芸家が偶然生み出した青磁の壺が、様々な人々の人生を旅し、10年後に美しい古色を伴って陶芸家の前に現れる(しかし、手元に戻ってくるわけでもない)お話.大きなテーマは見いだせませんでしたが、昭和の社会情勢、生活習慣、夫婦間や会社との関係性をベースに、ならではの言葉遣い等がちりばめられた13篇は、どれも人間味たっぷりでした. 「青い壺」に出会えてとても良かったと思いました.提案して下さってありがとう.重ねて読むと、最初に気が付かなかったミステリーや、作者からのメッセージが見えて来そうで、もう一度読んでみたい本です. 戦中に日本の防空壕で結婚記念日を迎えた夫婦の話がとても印象的でした.フランスで海外駐在をした夫は、妻にできる限りのワインやご馳走を想像力豊かに解説する.夫は防空壕でも紳士であり、妻もそれに感謝する.その夫婦にしか分からない貴重な思い出になったことでしょう. 堪能しました.過去唯一読んだ有吉佐和子の「複合汚染」とは全く質の異なる作品で、これまで抱いていた作者へのイメージも覆り、この本に出合えてよかったなと思います. 今まで有吉佐和子の本に興味を持つことがなく、読んだ事がなかったのですが、今回良い機会を頂き、良かったです.懐かしく暖かくも感じる昭和的な家族や生活、それにプロでもアート作品の価値が見る人により全然違う描写も面白かったです. 「青い壺をどの様に想像したか」をブッククラブのメンバーに聞いてみると、本のカバーの様な色、小ぶりな感じなど、メンバーそれぞれ. 著者 有吉佐和子

  • 3/28/2023 音楽家と作品への雑感 「ラフマニノフ」

    第10章 セルゲイ・ラフマニノフ Sergey Vasilyevich Rachmaninoff (1873年~1943年69歳没)   近代ロシアの偉大なピアニストで作曲家であり、オペラ指揮者としても帝政ロシア末期の第1人者であった.裕福な地主の家に生まれたが、浪費家の父親のために家は没落し、母方の家族と共にサンクト・ペテルブルグに暮らす.9歳(1882年)でペテルブルグ音楽院に入学、15歳(1888年)でモスクワ音楽院でピアノ及び作曲を学んだ.30歳代からドレスデン(ドイツ)で活躍する一方、時々、モスクワへ帰っていたが、1917年のソビエト革命で、スイスのルツェルン郊外に(今も孫が住む)別荘を買い、そこで静かに作曲できる時期があり、名曲「パガニーニの主題による狂詩曲」他を作曲.その後、アメリカに渡り(1942年)ビバリー・ヒルス(ハリウッド)を第2の故郷と定め、晩年はスターリンの再三の帰国呼びかけにも拘わらず、第2次世界大戦の勃発もあり、祖国の地を踏むことは無かった. モスクワ音楽院在学中から尊敬していたチャイコフスキーの影響を受け、ドイツのロマン派とロシア国民楽派の作風を折衷したような作品を多く作曲.傑作と言われる作品の大部分は亡命前の若い時期に書かれた物が多く、哀愁や祖国愛が表れた曲想が多く、生きた時代には珍しい大衆性のある保守的な作風で主にピアノの名曲を多数残した. ラフマニノフはピアノ演奏家としても名手であったが、両手を合わせるとピアノの白鍵22個分の大きな手であったことも伝えられている. 曲目の紹介 ※1 ピアノ協奏曲第1番 アシュケナージ(ピアノ、Pf)のピアノ協奏曲第1番(C-26)はテンポが速く緩急の切り替えしも多い、演奏家にとっては難曲だと思う. ※2 ピアノ協奏曲第2番 A. 同じくアシュケナージのピアノでコンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニーの演奏によるピアノ協奏曲第2番(R213)は前半は暗く重い空気間で重厚に,、後半は華麗に響くピアノの鍵盤音が大変印象深い. B. 辻井伸行のピアノ、佐渡裕指揮のベルリン交響楽団演奏(C-56)は適度なテンポと軽快な演奏で気張らずに、この名曲を楽しく聴くことが出来る. C. 他にも聴き直した数人のピアニストによる演奏はどれも良かったが、特に ヴァルトビューネ野外コンサート (ベルリン) のキリル・ゲルシュタイン (Pf)とキリル・ペトレンコ指揮のベルリンフィルの演奏(CL2-Q)は、森に囲まれた野外の夏の夕暮れに相応しい演奏で大変に気に入った. D. もう一つ、河村尚子(Pf)のファビオ・ルイージ指揮のNHK交響楽団の演奏(CL23-X)も首席指揮者就任したばかりのルイージのプログラムだけに今後への期待も大いに持てた. ※3 ピアノ協奏曲第3番 A. ホロヴィッツ(Pf)のピアノ協奏曲第3番(C-27)は第1楽章で主旋律が気持ち良く表現されるところから、次第に葛藤のような強烈な旋律が現れ耽美に浸るだけの余裕がない. B. 仙台フィルとの共演の若干20歳の藤田真央(CL20-Q)は、この曲の11回目の演奏とのことだが、そのテクニックと共に圧倒される表現力である. C. デニス・マツーエフ(Pf)とリッカルド・シャイーイ指揮のルツェルン祝祭管弦楽団の演奏(CL4-J)も印象に残る名演. ※4 「パガニーニの主題による狂詩曲」 A. ヴァン・クライバーン演奏(R214)は、その豪快で華麗な演奏の中でも有名な第18変奏が例えようもなく美しく物悲しい情感を表現している. B. アシュケナージのピアノによる同じ曲(C-26)は更に難易度をあげたようなテンポの速い緩急自在な演奏で、鍵盤上で転がるような音符の散りばめが見事と思う.それにしても3分強の第18変奏曲の美しいメロディーがいきなり現れてくることで、この曲は人口に膾炙(かいしゃ)される名曲になったと思うのは、偽わざる難曲への感想である. ※5、ピアノソナタ第2番 ホロヴィッツ演奏(C27)で聴く限り、不安の中に安らぎがあると聴こえると激しく怒り狂うような鍵盤を叩きつけるフレーズが来るなど、ソナタの常識からは外れた曲想が支配し続ける. ラフマニノフは ※ ヴィルトゥオーソ(伊 virtuoso) と呼ばれる. ※ ヴィルト ゥオーソ(伊 virtuoso) とは、本来は道徳的な意味を持ち、有徳な人というほどの意味であったが、19世紀の半ば頃からは、優れた技巧を持つ音楽家、特に演奏家を指すようになり、巨匠とか名人とかいう意味.パガニーニやリスト、指揮者ではフルトヴェングラー、バイオリニストではフーベルマン、ピアニストではコルトーやケンプなどが最後の ヴィルトゥオーソ と言われる. ※6 前奏曲集 作品23 及び 32 スヴァトラフ・リヒテルのピアノ演奏(R412)で聴いたが、協奏曲とは異なり大変聞き易い馴染みの良いメロディーが続く、何度でも聴いてみたい曲と感じた. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストを参考までに下記の表にした. VILLA SENAR: A MAGICAL PLACE SUPPORTED BY RACHMANINOFF FOUNDATION

  • 3/6/2023 本のレビュー、ベアテ・シロタ・ゴードン著、「1945年のクリスマス」日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

    <あらすじ>  ベアテ・ゴードン (旧姓シロタ)さんは、現在の日本国憲法の草案を書いた一人.当時、彼女は大学を卒業したばかりの22歳.オーストリア生まれのベアテさんは、音楽家の( ピアニストのレオ・シロタ )父親が日本で教えることになり、幼少時に戦前の日本へ移住.家には海外の有名な音楽家が集い、豊かな暮らしをするも、戦争が始まる直前に単身でアメリカへ留学.戦中はカリフォルニアのMills Collegeで過ごす.終戦4ヶ月後の1945年のクリスマス・イブに日本に戻り、長野へ疎開していた両親と再会する. ベアテさんが見た当時の東京は、皇居以外は焼け野原.日英両語ができる人が少ないため、GHQに知り合いがいた彼女は日本国憲法を新しく作るにあたって(GHQでの肩書は民生局員なのだが)約2ヶ月で日本が民主主義となる日本国憲法の草案を書く、という大役を任命される.高校卒業まで過ごした日本は、男女平等とは程遠く、女性は不平等を我慢するのが当然、という慣習や法律を変えることに注力する.日夜、法律専門のベテラン男性たちと肩を並べて仕事に励む. 僭越ながら、写真は私の父の本への書き込み.ノートは2冊にもなった. ここまではスムーズだが、ベテラン男性達は彼女の草案を読んで、ほとんどそれを削除してしまう.1945年のアメリカにも「完璧で本質的な平等」はなく、彼女の案はプログレッシブ(進歩的)過ぎた.ベアテは悔し涙にくれるが、疎開中は栄養不足だった両親にGHQで働いたお金や物を支給できるのは好都合だった.そして、いよいよ1946年に新しい憲法が発布される. <ブック・クラブでの感想> 新年会をしながら、話合いは2時間半にもおよび盛り上がったブック・クラブ.感想の抜粋は以下. 「意外と法案づくりのページは少なかったけれど、彼女の日本女性への想いは、その後のジャパン・ソサエティ等での活動に映し出されていますね.自分の法案を周囲の男性たちに説得できなかった後悔が何年も続いた部分など、人間として錯誤しながらも前向きに生きた彼女は立派です.批判もある様ですが、憲法づくりに女性を採用していなければ、どうなっていたかと怖くも思います.」 「敗戦直後に志の高い若い女性が男性の中に入って日本のために憲法を書いたなんてこと自体、全く知りませんでした.原題はそういうことなんだなと.」 「あまりにも興味深く2日間で読み終えてしまいました.ベアテさんはなんと「豊かな」人生を送られたのだろうと思いました(金銭的な意味ではなく).また、ロシア系ユダヤ人が、時代に翻弄された中で大きな犠牲を払いながらも強く生き抜いた人もいたのだなあと思いました. 日本国憲法に「男女平等」を書く、のところでGHQ案が最終的にはどのように日本国憲法となったのだろうと思い、他の理由で手に入れた添付資料と見比べながら読みました.「憲法カフェ」という憲法9条を守る会のセミナーに行ったときに教えていただいた資料です. 私はまだ勉強不足で改憲派でも護憲派でもありませんが、正直この自民党案を見たときなんでこんなに全部変えてしまうんだろうと思いました.アメリカ(および他先進国)の憲法は「徐々に」改訂をして変わって行きました. 恥ずかしながら今の日本国憲法が生まれた背景がこのようなことだったとは知りませんでした.この本は改憲派にも護憲派にも読んでほしい本だと思います.昔、憲法学者から聞いた言葉で「憲法は理想の理念なんで」という言葉がありますが、もしそれが目的だとしたら私達はこれからどのような理念を築いていくのだろう、と深く考えてしまいました.」 「国立女性教育会館で昨年シロタ・ベアテさんの展示会があったそうです.これを見ると、当時の感覚が少しでも伝わるのではないでしょうか.」  https://www.nwec.jp/event/archiv ecenter/Beate_online.html

  • 2/28/2022 MONATS-Trio Concert on Saturday, February 26, ― アマチュアの楽しみ

    新しいピアニストのメンバーが昨年の夏から加わり、コロナ禍の中、2月26日土曜日の午後、2年ぶりに近所の教会でのコンサートを無事終えた.カリフォルニア州、および、サンマテオ郡では2月16日よりマスク着用の規制が取れたため、幸運にもマスクなしで演奏ができたが、各々当日の朝、COVID-19のテストをしてNegativeであることを確認してからの演奏であった. 家族、友人の暖かいサポートを受け、 現在まだまだ演劇、コンサート等への外出を控えている人が多いなか、約30名弱の方々に来ていただき ( 演奏に反省はあったとしても)アマチュアの演奏としては精いっぱいの演奏であった.そして以外にもたくさんのお褒めのお言葉をいただいたことは嬉しい限りであった. プログラムは、 Oblivion Astor Piazzolla (1921-1992) Arr. for violin, cello, and piano by José Bragato (1915 - 2017) Piano Trio in G major, Hob, XV: 25 “Gypsy” Joseph Haydn (1732 - 1809) · Andante · Poco Adagio · Finale. Rondo all’Ongarese. Presto Piano Trio in C minor, Op. 66 Felix Mendelssohn (1809 - 1847) · Allegro energico e con fuoco · Andante espressivo · Scherzo . Molto allegro, quasi presto · Finale. Allegro appassionato アマチュアの楽しみとは(アンサンブルの場合)勿論音楽好きで、ともに演奏することが至上の楽しみ、また喜びであって、その成果を家族友人と分け合いたいと思う、大変に「ソーシャルな楽しみ」であることを最近特に感じるようになった.勿論向上心は常にあってもプロとの違いは皆自覚しており、結果はさておき「弾いて楽しむ」」ことが第一の目的であることは、MONATS-Trioの共有している価値観であり、メンバー間の競争はなく、気が合う仲間という大変に居心地の良い趣味の世界である.

  • 3/9/2024  本のレビュー、サマセット・モーム著「月と6ペンス」The Moon and Sixpence by William Somerset Maugham

    本書は作家である主人公の「私」が語る、ゴーギャンの半生を書いたとされる 歴史的大ベストセラー <あらすじ> 作家である主人公は、ストリックランド夫人の夕食会に招かれ、彼女の夫チャールズ・ストリックランドに会う.チャールズはロンドンで株の仲買人をしていたが、突然、家族を残して行方をくらませる.主人公は夫人に頼まれ、チャールズが住むパリへ向う.チャールズは貧しく孤独な生活を送っていた.絵を描くために家族を捨てたと話す.   5年後、主人公はパリで暮らす.三流画家のダーク・ストルーヴを訪れると、チャールズを知っており、その才能を誉める.チャールズに会うと「ストルーヴは何の特技もない奴」と冷たく言う.チャールズの暮らしは更に貧しくなり、クリスマス前にストルーヴと共にチャールズのアトリエを訪れると、彼は重病に臥していた.ストルーヴが彼の妻にチャールズを家で看病したいと話すと、ストルーヴの妻は強く反対した.だが、夫に説得されチャールズの看病をするうちに妻はチャールズに好意を寄せるようになる.終に夫を棄ててチャールズを看護するが、チャールズからは愛されず服毒自殺をする.妻の死を知ったストルーヴは失意のどん底にあるにもかかわらずチャールズを故郷のオランダに誘う.主人公はチャールズに会って、彼の家族や周囲に対する冷酷さと口の悪さを厳しく批判する.   その後、主人公は タヒチ を訪れる.そこでチャールズと仕事をしたというニコルズ船長に出会い、チャールズが船乗りをしていたと聞く.宿屋のティアレはチャールズにアタという妻を斡旋した.医師のクートラはチャールズが ハンセン病 に感染した晩年のことを語り、彼の遺作は遺言によって燃やされたことを知る.   ロンドンに戻った主人公はストリックランド夫人に再会.タヒチでのことを話し終え、チャールズとアタとの間にできた息子が大海原で船を操っている姿を想像していた.   <ブッククラブでの感想> この小説のチャールズはゴーギャンがモデルと言われていますが、 時代背景やゴーギャンが最後に描いた絵にまで興味が持てました.「天才、凡人」、「悪魔、天使」、「拘束された人生、自由な人生」、「男の人生、女の人生」等の人生の違いから「良い、悪い」ではなく、キリスト教の教えの神の存在、運命は神が与えたものであることを語っているようなストーリーであると思います.また私は神に選ばれない凡人でよかったとも思いました.   ゴーギャンの絵を鑑賞したことも、鑑賞し得る絵心もないまま、チャールズの徹底した冷酷さ・残忍さ・狂気を「天才画家」故と案外すんなり受け入れ、彼の壮絶な生涯の物語を一気に読み切りました.モームの作品は初めてでしたが、登場人物や情景描写の解像度が鮮明で、人間の心理や世相の核心をつく言葉もちりばめられており「月と6ペンス」というタイトルのきっかけを生んだというモームのもう一つの代表作「人間の絆」も読んでみたいと思います.   チャールズのタヒチでの暮らしの描写の中で「チャールズの住まいには音がなかった」、「大気は夜に咲く白い花の香りがする」等の表現が特に印象的でした.無謀に見えるチャールズの人生ですが、彼は自然美や美術という宗教に取り憑かれ、邁進した人生だったのではと思いました.   本書の最後に引用されている "The mills of God grind slowly, but they grind exceeding small" の意味を調べてみると「神のみわざを讃える」というより、神のDivine retribution (天罰のようなもの)のようです ( https://wikipedia.org/wiki/Mills of God ) チャールズが癩病で亡くなったことを神の罰だとロンドンの息子ロバートが言ったことに対して、主人公の作家は後妻アタの息子が実に自由に生き生きと成長していたのを思い出し、違和感をもったのかもしれません.日本語訳を読んでもう一度考えてみます.それにしても本の余韻を残す凄い幕切れだと思います.   モームの作品を読んだのは初めてでしたが、モームについて調べると吃音や親との別れなど、幼少時から万丈な人生だった様ですね.それが作品の構成や深さに繋がっているのではないかと思います.平坦な人生を送った作家にはチャールズの様な複雑で冷酷な登場人物は書けないかもしれません.そして、シンガポールのラッフルズ ・ ホテルは主人公の常駐場所だったようで、サムセット駅はそこから来ているとのこと.シンガポールに行った時には、立ち寄りたい場所です. 「月と6ペンス(サマセット・モーム著)」The Moon and Sixpence by William Somerset Maugham

  • 10/5/2024 音楽家と作品への雑感「ブラームス」

    第15章 ヨハネス・ブラームス (Johanness Brahm) (1833年~1897年 63歳没) ブラームスはドイツのハンブルグに生まれ、幼いころからピアノを習熟し、家計を助けるピアニストとして酒場や編曲に馴染んでいた.父親は劇場管弦楽団の弦楽器奏者だった.姉と弟の三人姉弟の真ん中だった.17歳の時、優れたバイオリニストのE.レメーニ(Eduard Remenyi)と知り合い、二人での最初の演奏旅行でレメーニの友人の大バイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)を知って親交を深めた.ヨアヒムはその後もブラームスの創作の良き助言者として、終生変わらぬ友情を示してくれる.二人は更にワイマール(Weimar)を訪れ当時隆盛を極めたリストを知るが、リストとブラームスの音楽は異質で、リスト、ワーグナーの新音楽とブラームスの目指す新古典派とは生涯相いれない対立の関係になった. ヨアヒムの紹介で、デュッセルドルフに住むシューマン夫妻を尋ねたブラームスに、彼の非凡な才能をシューマンが感じ取り、各種の出版物などにブラームスを紹介する.こうして成功の道筋に乗ったブラームスだが、師と仰ぐシューマンの悲劇的な死に直面し、悲嘆にくれるその妻クララ(Clara Schumann)と子供たちと、終生に渉る親交を続けた.ウイーン・ジングアカデミー(Wiener Singakademie)、ウイーン楽友協会(Wiener Musikverein)の指揮者を務めた後、1878年からウイーンに定住.史上初の大指揮者ハンス・フォン・ビューロー(Hans von Bülow)が残した言葉 ≪ドイツ3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)≫ の一角を占める19世紀ドイツ音楽の最高の作曲家. リスト・ワグナーの新音楽とは一線を画し、歌劇、標題音楽は手掛けなかったが、ブラームスは交響曲、管弦楽曲を始め (私としては意外にも) 驚くほど多数の合唱曲を創作した. 「私の個人的経験として、会社勤めを始めた2年後の独身時代の1963年から1年間(海外研修生)と、その後に家族同伴で1973年~1977年の4年間(支店営業及び情報収集スタッフ)はドイツ(当時は西ドイツ)のハンブルグ支店に居を置いてきました.当時はブラームスがハンブルグ生まれだったことは、日本人の少々クラシック音楽に興味ある人なら誰でも知っていたように思いますが、同様にメンデルスゾーンもハンブルグ生まれだったことも知られてはいたものの、生まれ育った住居等は、ほとんど知られていなかったし分らないほど、未だ未だ、第2次世界大戦の傷跡が大きく街に残っている雰囲気で、観光目的でのブラームスの生家を尋ねて的な遺構はなかったのが事実でした.」 この度、再び視聴した演奏から、ブラームス音楽の印象を短く綴ってみたものを以下の通り示した. 交響曲第1番 :指揮者カール・ベーム(80歳)がウイーンフィルを引き連れての東京での歴史的演奏会(1975年)は何度聴いても感動する.ブラームスのどの交響曲も、混濁から徐々に美しい主旋律が現れる過程が極めて自然に上手く表現されている点が聴く者の心に響く.特に、交響曲第1番で、そのことが顕著に感じられる.もう一つの演奏で反田恭平指揮の奈良県東大寺大仏殿前庭での雨中の演奏は、本来はピアニストの反田の音楽への思いが、この悪条件の元でも直、ひしひしと感じられる演奏だった. 交響曲第3番 :ブラームスが長年かかって交響曲第1番を完成したのは、彼が43歳の時と比較的に多くの人生経験を積んだ時期だった.その後の交響曲第3番及び第4番は、ベートーベン亡き後のドイツ・ロマン派を代表的する名曲になったと思う.第3交響曲の第3楽章は重くメランコリックな、第4楽章は力感に溢れる聴きなれた美しい旋律だが、演奏機会が他の交響曲に比して少ないのは、終楽章の終わり方が静かなためと言う指揮者もいる. 交響曲第4番 :第1楽章冒頭のバイオリンが奏でる第1主題が聴く者の心を捉える.第3交響曲作曲から間もない作品なのに、ひときわ物寂しい悲しさに貫かれた、聴く者に作曲者の心情を自由に想像させる名曲だと思う. ピアノ協奏曲第1番 :大曲ではあるが、ピアノ協奏曲としては未完成で、オーケストラが主体の交響曲に付随したピアノ曲とも言われる所以を確かに感じる.第4楽章にピアノ協奏曲として流麗な美しい馴染みの旋律が現れる.A. Rubinsteinのピアノ演奏(BBC Symphony)を聴くと、他の演奏者の時より、この曲が稀代の名曲に聴こえてくるのは不思議な感覚. ピアノ協奏曲第2番 :ピアノを伴う交響曲と言われるが、第1番から20年を経過しての作曲.イタリア旅行に触発されて作曲したとのことだが、濃厚なドイツ色で、壮大なピアノに加え、演奏では管弦楽が重要なポジションにあると感じる名曲. ピアノ五重奏曲 :重厚感と雄大さを持つピアノが弦楽四重奏との競演で展開する叙情性と情熱に溢れたブラームス31歳の時の傑作である. バイオリン協奏曲 :ブラームス45歳の年(1878年)に作曲した名曲で、田園的なリリシズムが曲想ににじみ出ているのは、オーストリアの田園で作曲し始めたためか.独奏パートは友人のヨアヒムの助言を仰いだと言われている(注). (注)ブラームスのバイオリン協奏曲の初演バイオリニストとして、後世に名を残したヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim 1831年~1907年)の活躍も忘れてはならない. バイオリン・ソナタ :第1番「雨の歌」は、彼が最も旺盛な創作を展開していた46歳の時期の作品で、イタリア旅行から得た南ヨーロッパ的な解放感や情熱と、ブラームス特有の北ヨーロッパ的な叙情が混ざり合った傑作.第2番、第3番も綺麗な優しい旋律が続く.シェリング(Friedrich  Schelling)(Vn) / ルビンシュタイン( A. Rubinstein)(Pf)の演奏はひと際、情感あふれる演奏だ. ドイツ・レクイエム(全7曲) :マルチン・ルターのドイツ語訳「聖書」を元に、一般的なミサ曲とは一線を画し、死者ではなく生き残った者の悲しみに目を向けられている.作曲のきっかけはシューマン追悼の意味があったとされている.4曲目は美しい旋律、5曲目は高音のソプラノ・ソロをフォローする合唱.6曲目はバリトン・ソロをフォローする合唱で、伝統的なレクイエムの “怒りの日” に相当する曲で、迫力ある曲想で盛り上がる.今回聞いた演奏では特に、東京での ≪ブロムシュテット指揮(Herbert Blomstedt)/ ゲヴァントハウス管弦楽団(Gewandhausorchester Leipzig)/ ウイーン楽友協会( Wiener Musikverein)≫ が、素晴らしいの一語に尽きるものだった. クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115 :自らの創作力が枯渇したと感じ、作曲の筆を折ろうと決心した頃、ミュールフェルト (Richard Mühlfeld) という優れたクラリネット奏者と出会い、再び創作欲を刺激され1891年に完成した、彼の作品の中で最も諦観とリリシズムが漂う作品で、クラリネット五重奏曲としてはモーツアルトのそれと並び称される傑作. 弦楽六重奏曲第1番 作品18 :彼が27歳の時(1860年)の作品で.低音の厚みのあるオーケストラ的な響きの中で、ブラームス特有の憧れに満ちたリリシズムがいっぱいに広がり、のどかな感傷的な甘さが漂う旋律は、時に映画音楽にも使われる. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.

  • 7/9/2024  4月13日(土)APA国際室内音楽祭、小金井宮地楽器ホールでブラームス、Piano Trio op114を弾く

    昨年12月に吉祥寺で弾いた、Brahms op114 を小金井宮地楽器ホールで開催された第六回国際室内音楽祭において、鳥井一行 さん (ピアノ)と Dr. Steffen Luitz (チェロ)と弾く.初来日のSteffen は米国でピアノ・トリオを一緒に弾いているチェリストでお互いに勝手がわかっているので弾きやすかった.ピアノは前回 Mendelssohnでご一緒したプロ級のピアニスト鳥井さんにお願いした. 米国でトリオを一緒に弾いているピアニストのNormも米国から参加した.彼はSchumannのピアノ五重奏曲 op44 を日本の演奏家と熱演.大変に限られたリハーサルの時間で5人で本番レベルまでもっていくのはアマチュアにとっては至難の業だと思う. 夫々にとって今回の日本滞在は特に楽しい思い出になった.

  • 6/28/2024 音楽家と作品への雑感「ハイドン」

    第14章 フランツ・ヨゼフ・ハイドン ( F ranz Joseph Haydn )    (1732年~1809年 77歳没) オーストリアのローラウ (Rohrau, Austria) に生まれる.父親は音楽好きの車大工. 12人兄妹の長男に生まれたハイドンは、楽才があり6歳で義理の叔父に引き取られ教育を受けた. 8歳でウイーンのシュテファン教会合唱隊に採用されたが変声のため17歳でそこを去り、27歳でボヘミヤのモルツイン伯の音楽隊長に就職し作曲活動に入る. 翌年にはウイーンのかつら屋の娘マリアと結婚するが、彼女は稀代の悪妻として生涯ハイドンを苦しめることになる. 29歳で芸術に熱心なエステルハージー侯の管弦楽副団長としてアイゼンシュタットに着任し、34歳で楽団の団長になり、その後25年間その地位に留まり、多くの作品がそこで書かれた. ハイドンは古典派音楽の形成期の最も重要な作曲家であり、交響曲・弦楽四重奏曲などのソナタ形式による絶対音楽に優れた作品を多く残し、モーツアルト、ベートーヴェンに受け継がれて最盛期を迎えるウイーン古典派の基礎を築いた. 私はハイドンの曲はあまり近年には聞く機会がないと思いながら、手持ちのメディアを順番に聴いてみたら、意外にもかなり聴いていると感じた次第である. 若い頃は交響曲は沢山聞いていたが、耳に残る旋律が多く、それが今回聴き直しての感想だ. 交響曲第96番 “奇跡“、交響曲第100番 “軍隊“、交響曲第101番 “時計“の3曲は、ハイドンが2度目のロンドン訪問中に作曲(第98番~第104番)した円熟しきった名作だと改めて思った. 弦楽四重奏曲も、いずれも名曲揃いで、特に第75番、第76番 “五度“、 第77番 “皇帝“、第78番 “日の出“の中では、第77番 “皇帝”が、自作のオーストリア国歌 「皇帝讃歌」(現在のドイツ国歌)を主題とする美しい旋律で印象に残った. 大曲のオラトリオ 「天地創造」 は今回、1曲のみしか聞けなかったが、大変美しい曲と感じたので、近いうちに全曲を通して聴き直したいと感じた. 尤も、ヘンデルのオラトリオがハイドンの手本になった由なので、ヘンデルのオラトリオも是非もっと聞く積りでいる. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.

  • 3/13/2024 音楽家と作品への雑感 「グリーグ」

    第13章   エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ ( Edvard Hagerup Grieg ) (1843年~1907年64歳没) 祖父がスコットランドからノルウエーに移住してきたが、ライプチッヒ音楽院で学び、その後にドイツ・ロマン派の影響を受けながらも、ノルウエーの民謡や民族舞曲の要素を取り入れた独自の音楽の確立で、生前から業績が認められていた. 北欧の音楽はあまり沢山は聴いて来なかったが、シベリウスよりも グリー グ の方が私には親しみやすい優しさを感じる作曲家だと改めて気が付いた. ※ピアノ協奏曲 イ短調 ヴァン・クライバーンの演奏は、この曲の抒情的旋律を見事に表現している. ※ペールギュント組曲 第1番&第2番は戯曲に付けた曲らしく、ちょっと陽気な旋律が耳に直ぐに馴染む. 今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.

  • 1/20/2021 Burton-Hill 著書 "Year of Wonder" について

    本ブロッグで頻繁に参照されているBurton-Hill 著「Year of Wonder」はクラシック音楽愛好家ではない多くの若い読者によって「一年を通して啓発されまたクラッシク音楽を楽しめる本だ」 との高い評価を受けている. 著者のBurton-HillはバイオリニストでもありBBCラジオのパーソナリティでもあり、著者が一年を通して、インスピレーションあふれる一日一曲を選曲し、素人向けに解説するクラシック音楽入門書である. 「クラシック音楽は、退屈で、解らない」あるいは高齢者ファンが絶対的に多いこともあって「瀕死のアートフォーム」だとも言われている. その「退屈で解らない」クラシック音楽に対する評判を覆す試みをBurton-Hillがこの本でしている.彼女自身、受賞歴のある作家、放送局のアナウンサー、バイオリニストであり、クラッシック音楽の芸術形式への深い造詣と、その多様な音楽の「美」への情熱を持っている.その知識、情熱を「Year of Wonder」を通して読者と共有したいというのが彼女の願望で「クラシック音楽を楽しむための唯一の要件は、開かれた耳と開かれた心です」と説いている. 「Year of Wonder」はバッハ、ベートーベン、モーツァルト、プッチーニからガーシュウィン、クララ シューマン、フィリップ グラス、デューク エリングトン、そしてその他の一般的には見過ごされがちな音楽家、作品を含み、幅広いジャンル、時代に渡る音楽の宝庫の中から一日一曲が読者に紹介されている. 慎重に選ばれ、巧みに研究された「Year of Wonder」は「音楽の楽しみを」教えくれる一冊であると思う. Year of Wonder (コピー) https://www.google.com/books/edition/YEAR_OF_WONDER_Classical_Music_for_Every/WS43DwAAQBAJ?hl=en&gbpv=1&printsec=frontcover Year of Wonder (オーディオ) https://www.audiobooks.com/book/stream/345344

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