top of page

Search Results

空の検索で119件の結果が見つかりました。

  • 3/28/2021 コロナ禍をよそに井の頭公園・多磨霊園 春爛漫

    Inokashira Park (井の頭恩賜公園, Inokashira Onshi Kōen) in Tokyo Inokashira Park (井の頭恩賜公園, Inokashira Onshi Kōen) in Tokyo Tama Cemetery (多磨霊園, Tama Reien) in Tokyo Tama Cemetery (多磨霊園, Tama Reien) in Tokyo

  • 3/28/2021 フィルム・レビュー 「“The Father” 父」

    主演:アンソニー・ホプキンス、オリビア・コールマン、ルーファス・シーウェル 定格:PG-13 監督:フローリアン・ゼレール 作家:クリストファー・ハンプトン(映画脚本)、フローリアン・ゼレール(演劇脚本) アンソニー・ホプキンスは認知症に苦しんでいる男性を演じており、オリビア・コールマンは悲痛感に溢れ、父親の看護をする娘を演じている.受賞歴のある同名のこのフランスの演劇は、映画の監督でもあるフローリアン・ゼレールによって映画化された. 確かに、認知症は、愛する人が加齢していく過程で起きる、多くの家族が直面する悲劇だ.しかし、「“The Father” 父」の面白いところは、一方的ではなく、この恐ろしい体験をしている「本人」と、看護をしている「家族」両者にとって、認知症がどれほど恐ろしい病気かを示しているところにある. 映画は、父親の視点と、父親が直面している同じ出来事を娘がどのように反応しているかを描いた、娘の視点とを、交互に切り替えなが進行する.この恐ろしい病気を患う「本人」とその介護をする「家族」の難しさを教える映画だと思う. ホプキンスとコールマンは両者とも、我々の時代の世界的に偉大な俳優であり、この悲劇的でありながら心に響く物語を非常に正当に上手く(うまく)演じている. その熱演が報われ、ホプキンスとコールマンは、監督フローリアン・ゼレール、映画「“The Father” 父」と共に、2021年のアカデミー賞にノミネートされている. アカデミー賞受賞に値する映画、役者、監督であると思う. https://www.youtube.com/watch?v=4TZb7YfK-JI

  • 3/27/2021 ノース・キャロライナ 待ちに待った春の訪れ!

    Such a beautiful season of hope!(美しい希望の季節の訪れです)

  • 3/24/2021 スターバト・マーテル 「悲しみの聖母」

    4月4日にイースターを控え、今週日曜日に始まる聖週間.その間にスターバト・マーテルを耳にする機会がおありかもしれない. 悲しみの聖母 Sancta Mater Dolorosa (Our Lady of Sorrows) “スターバト・マーテル(ラテン語: Stabat Mater、「悲しみの聖母」「聖母哀傷」)は、13世紀のフランシスコ会で生まれたカトリック教会の聖歌のひとつである.中世の詩の中でも極めて心を打つもののひとつであり、わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが受けた悲しみを思う内容となっている.中世以来、西洋音楽の多くの作曲家がこの詩に曲を付けている.” (Wikipediaより引用) 実にたくさんの作曲家のスターバト・マーテルがあり、その数には感心するばかりなのだが、特に有名なのはペルゴレージだろうか.当然ながら深い哀しみにあふれた曲で、こちらの (下記) 二つはお勧めしたい録音.いずれのアレンジも趣味がよく、二人の歌手だけとは信じられないほどのハーモニーの奥ゆき.またアンドレアス・ショルの音域と表現の豊かさには驚くものがある. https://www.youtube.com/watch?v=xROmr1s1ngs https://www.youtube.com/watch?v=BTHwodbnTrs&list=OLAK5uy_l8RgxVA0ByyRgGvnZrnipebQo7uEe1CBM アンドレアス・ショル カウンター・テナーのショルの歌声を初めて聞いた時、その限りない透明感に「天使の歌声というものがもしも存在するとしたら、こんな声なのではないだろうか」と感じたものだ.彼が歌うヴィヴァルディのスターバト・マーテルも素晴らしく、Lent中の心境に実にぴったりくる. https://www.youtube.com/watch?v=n71JvW4E9Xw 去年の今頃、いつも聴いているクラッシック音楽ラジオ局からショルの歌声がいきなり耳に飛び込んできた.不思議な美しいメロディー.一度も聴いたことのない曲で歌詞の感じから宗教音楽ということはわかったけれど時代はいかにも不明.けれども毎週日曜の夜、そのラジオ局は現代音楽をかけることが多いので、その曲もそうかと思って番組の終わりの曲の紹介を待っていたところ、Marco Rosanoという初めて耳にする現代作曲家のスターバト・マーテルだった.その曲はショルのために何と5年もかけて書かれたとのこと. https://www.youtube.com/watch?v=kj4vAzGFC7U 磔刑図 アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431年 - 1506年9月13日)1457-60 ルーヴル美術館 おたく極まりないけれど、その頃 “The Ultimate Stabat Mater Website”というすごいサイトも見つけた.お時間があればご参照ください. https://stabatmater.info/componist/rosano/ "Music is enough for a lifetime, but a lifetime is not enough for music." というラフマニノフの引用が強い実感を伴って心に浮かぶ.

  • 3/25/2021 伊丹敬之 著「日本企業の復活力」を読んで

    10年前の東北大震災のあとの復興と日本人の協力・団結・忍耐・秩序に感心した外国の友人は一様に、日本人の「resilience」を称賛しました.弾力ある跳ね返す力、即ち復元力が素晴らしい (resilient) と言いました.さらに、火事場泥棒のような「vandalism」(ヴァンダリズム・破壊行為) が無い社会秩序が存在するのには感動を覚えるとまで言っていました. その我が国は、バブル崩壊後の失われた30年経った今日の活力と勢いの乏しさには第二の敗戦を経験しているかのようにさえ感じます.敗戦より始末が悪いのは、敗戦した自覚なく日々過ごしていることです.負けた認識がないので、resilience の発揮の仕様がありません.そして、坂をずるずると危険を感知しないまま転げ落ちているかのようです. コロナ禍終息後に訪れる「戦後」に我が国と国民は resilience たくましく挑戦して、復興・復活して行くのでしょうか? 日本人の美徳・勤勉・集団秩序などの長所が目覚ましい経済成長を可能にした要因だったのは間違いありません.長所が最大限活かせたのが第二次産業分野だったからです.所得倍増の結果、製造業は国際移転を余儀なくされ日本はもはや付加価値の高くない第二次産業を柱としては立脚できない経済基盤の時代にいます.第三次産業、情報ソフト産業、付加価値の高いニッチな産業が国を支えねばならない段階に来ています.競合相手は教育水準の高い先進国と昇龍の発展途上国です.政・官・民が一枚岩で挑戦せねば勝てる戦ではあり得ません.今後、国際化とIT化の波に益々飲み込まれていきます.Communication literacy と IT + Computer literacy の優劣が国の運命を決めかねない時代に突入しています.政・官・民、全てのレベルで日本は優等とはいえず、むしろ先進国の中では劣等化しつつあると言っても過言ではありません.下手をすると先進国の仲間から外されかねません.将来を見据えた長いスパンで教育を如何にするかは50年後、100年後の日本の命運を決めかねない大問題のひとつです.詰まるところ、人の問題です.その位の危機意識の下、敗戦から復活せんとする、産業・学術・教育面での気概・ヴィジョン・具体的戦略戦術が不可欠です. 伊丹敬之氏の視点と論点は全くご尤もな一各論で、賛同します.よく言われる、「Number One」よりむしろ「Only One」を目指せと.世界を席巻している GAFA は今でこそそれぞれの分野で Number One ですが、創業当時は Only One 的発想で成長したのではないでしょうか. 全体を包括する正しい建設的な総論の中にあって、幾多の魅力的して高付加価値を産む各論が整合してほしいものです. http://blog.livedoor.jp/kawazuisamu/archives/2021-01-24.html https://osaru-books.com/books/current-events/resurrection-power-of-japanese-companies/

  • 3/23/2021 本のレビュー「青い眼が欲しい」トニ・モリソン著

    〈作者と内容〉 ノーベル文学賞受賞作家、トニ・モリソンが書いた「青い眼が欲しい」は衝撃的だった.モリソンはアメリカの黒人女性についての物語が圧倒的だが、ブック・クラブで彼女の作品を読むのは初めて.「黒人少女達はこんなコンプレックスを今も持ち続けているのだろうか?」というクエスチョンを持ちながら読み進めた. 大恐慌時代のアメリカでクローディア(本の中では「私」)が語る、主人公ピコーラという黒人少女の話.小学生のピコーラは父親が刑務所に入ったことでクローディアの家族と一緒に住み始めるが、周囲の差別や家庭内暴力などで荒んだ環境は、自分の眼が青く容姿が可愛ければ生活が変わるに違いないと信じている.青い眼になるよう毎日祈り続け、一年経ってもその願いは叶わず、環境も変わらない.偽牧師のソープヘッドにも青い眼が欲しいと訴える.学校では白人の同級生は夢のような生活をしていることを想像し、裕福な黒人の同級生にも憧れる.望まない妊娠、差別など常に苦境におかれるピコーラ. (本の後書きには、この本も否定され続け、やっと25年後に出版された、とある) 〈ブッククラブでの感想〉 人種によって住む地区が明確に分かれているシカゴで学生時代を送った私は、地元のニュースで外見的なことは分かれど、内面的な誇り、劣等感、生活事情は実際に知り合いがいないと分からない.現在はウェブやソーシャル・ネットワーク等で知ることができるが、その深さと複雑さで、2~3日頭から離れない話もあった. 社会学で習った「劣悪な環境で育った場合、その環境から抜け出そうと高等教育を受けたり、活動を始める人はいるけれど、実際は周囲や家族の反対や、足の引っ張られ等により、その劣悪な環境にとどまる人が多い.特に黒人はその問題が深い」ということ.誰しもコンプレックスはあると思うが、読後もやはり「こんな幼くても社会が決めた「美」で自己否定し、アメリカ人でもコンプレックスと苦労の塊のような人が存在するとは!」というのが私の感想.幼少の頃から「青い眼」さえあれば自分の問題は解決する、と思わせたのは社会の強い風潮であり、幼児でも「白人は幸せな人たち」と感じていたのだろう.ピコーラに訪れるあらゆる不幸と不運(特に父親のこと)は、出たらめ霊媒師や差別主義者の白人店主とのやりとりの場面などで、内面と外見のコンプレックスがすべての行動と感情に出てくる.時には読み進めるのが辛い場面もある.ブック・クラブの課題図書にならなければ、この「読むべき本」は読破できなかったと思う.また、アメリカの黒人社会の深さを知らなかった時に読むとショックで眠れなかった気がする.時代は違うが、ミシェル・オバマの人生とも対照的で(どちらも人種を気にしながら通学する少女時代だったけれど)、苦労や努力が報われるかどうかで人生は両極端となる.また「自由」という定義の広さも、メンバーとの会話の中で考えさせられた. そして、メンバーの感想を一部抜粋すると、、、 「African Americanの少女の話は読んでいて胸が痛くなりますが、読書によってこういう気持ちにさせられるのはさすがだと思いました.」 「今月の本を日本語で読んで「この文章は英語で何と書いてあるのだろう?」と思うところがたくさんあり、時間がなくなり英語で読めなかったのが残念.Toni Morrisonのドキュメンタリー映画をご覧になったSさんが彼女の別の作品もぜひ読んでみたい、と言われていたのが納得いくほど彼女の作品は強烈で、同じ人種でないと理解できないのかもしれないが私もまた読んでみたい.」 「Bluest Eyesは、とても圧倒される本でした.そして私にはとても助けになる本でした.それにしても黒人の人たちがくぐり抜けてきた環境というのはなんと厳しいものなのでしょう、そして今でも.実は図書館でToni Morrison原作の"Beloved" の映画を借りて見始めたのですが、あまりにも暗くてそして複雑怪奇でギブ・アップしてしました。Wikiを読んでようやく意味はわかり始めましたがこれは"The Bluest Eye"の上をいく暗さです. 「Bluest Eyesに出会えて、読み通せて光栄でした.重い歴史事実をつきつけられ、作者の鋭い洞察と人間愛に圧倒され続けましたが、消化不良感も含め、皆さんと共有できてほっとしました.Toni Morrisonの生み出す文学、私もまた是非チャレンジしたいです.先ずはビデオ探してみます.」 https://www.youtube.com/watch?v=_8Zgu2hrs2k

  • 3/22/2021 映画レビュー「オードリー」伝記・ドキュメンタリー

    数年前にオードリー・ヘプバーンについての別の映画を見たことがあるので、彼女については既によく知っていると思っていた.よってこの映画を観ようとは思わなかったが、結果としてこの映画を観てよかったと思う.様々の写真、初期のホーム・ムービー、ニュース・クリップにより、非常に興味深いドキュメンタリーに出来上がっている. このドキュメンタリーは彼女の個人的な生活とハリウッドでのキャリアをカバーしている.オランダで生まれた彼女は、ナチスの占領を生き延びたが、彼女の多くの同胞のように栄養失調に苦しんでいた.栄養失調は彼女の人生、キャリアに影響を与えた.子供の頃、彼女はバレリーナになりたいと思っていた.戦後、彼女の体は栄養失調で、その為に彼女は仲間のレベルで踊ることができなかった.バレーを諦め演技に転向し、直後、すぐにスターになり、24歳で最初のアカデミー賞を受賞した. 彼女の友人、家族、同僚の多くは、オードリーの考えや思い出を語り、このドキュメンタリーを非常に感動的にしている.彼女の夫とユベール・ド・ジバンシーとの関係はよく記録されている.ドキュメンタリーの最後に、ユニセフのグローバル・アンバサダー(大使)としての彼女を紹介している.これは、彼女の子供たちへの大きな愛情と、彼女が死ぬまでユニセフのために行った素晴らしい奉仕である. https://www.youtube.com/watch?v=DOY77nyd6fY https://www.youtube.com/watch?v=zahSEExjjFs

  • 2/23/2021 金蒔絵の世界

    この冬は驚異的な量の凍結を伴った霙(みぞれ)、二回の氷嵐が2月まで続いた.凍っていないときは、地面はもう雨を吸収できず、池は満水状態、草地はぬかり、滑り易い.5頭のジャーマン・シェパードを運動させるためには、気象条件に関係なく、午前と午後、外に出す.幸いなことに、ジャーマン・シェパードは身についた自然のダブルコートを着て、寒くて濡れた庭でも戯れて遊んでいる.私たちは防水層で覆われた暖かい服でギア・アップ.長い冬の一ヶ月が過ぎていく. 月の後半、ある嵐の後、私は午後、犬と一緒に外へ出た.嵐はすでに通り抜け、嵐の残骸の雲が空を埋め尽くしている.これから数日間は雨が降らない日が続く予定.1時間ほど犬を遊ばせた後、餌を与えて、犬小屋を掃除し、私は彼らに「おやすみなさい」のトリートを探しに家に戻った. 丁度、太陽が沈み始めたところだった.私が庭に戻ったとき、私は最も壮観な光景を見た.私の周りの木々や岡の上を、終日に投げられた日没の長い黒い影を越して、金色の美しい輝きが放たれていた.日の出直後または日没前の黄金の時間で、太陽の柔らかい黄金色がすべてを覆っていた.太陽が雲の下に光をもたらし、黄金色のトーンが強烈で、今まで見たこともない壮麗な景色.冬の寒さを終わらせ、春を願っているかの如く繰り広げられた金蒔絵の世界は唯ただ美しかった. “Gold are the great trees overhead, And gold the leaf-strewn grass, As though a cloth of gold were spread To let a seraph pass. And where the pageant should go by, Meadow and wood and stream, The world is all of lacquered gold, Expectant as a dream” Carmen Bliss 頭上の大きな木は金蒔絵 そして落ち葉が散らばった草原は黄金色に 熾(し)天使が通り抜けたかのように 金の布が広がる そして、壮麗な行列が通り過ぎるべき場所 それは牧草地と木と小川 全て世界は金蒔絵 夢として待ち設ける カルメン・ブリス

  • 3/17/2021 嵐の翌日コロラドから

    大嵐が過ぎた後、今日は、クロス・カントリー・スキーに最高、完璧な一日でした.庭に降りて東側の西向きからとった山々の姿です.

  • 3/15/2021 「The Ides of March」ヘンデル 歌劇「ジュリアス・シーザー」

    紀元前44年3月15日(The Ides of March, ローマ暦の74日目)ジュリアス・シーザーは、占い師から警告をされた通り暗殺された.その数年前のシーザーのエジプトでの状況を、ヘンデルは、歌劇「ジュリアス・シーザー」の中のアリアで語っている.用心深くて不信感の強いシーザーは裏切られることを確信し、自分を「ハンターが獲物を追跡している」状況に置き換えて歌う.(Burton-Hill) HWV 17「エジプトのジュリアス・シーザー」は、1724年にジョージ・フレデリック・ヘンデルが王立音楽院のために書いた3幕のイタリア・オペラ.このオペラは、もともとカストラ―ト(近代以前のヨーロッパに普及した去勢された男性歌手)のために作曲された最も美しいヘンデルのアリアのひとつである.音楽の世界でのカストラートの制度は西欧では1870年に禁止されたため、現在はカウンター・テナーによって歌わている. 編集者が選んだレコーディングは、メゾ・ソプラノの Dame サラ・コノリーのパーフォーマンスによるもので、素晴らしい歌唱力と演技力との珍しい組み合わせが楽しめる.このアリアに限ってはメゾ・ソプラノの声のほうがカウンター・テナーのそれよりも自然で安定しているように思う.現代の(フレンチ)ホルンの前身である、ナチュラル・ホルンのソロのオブリガートも美しい. https://www.youtube.com/watch?v=fieBT98DCLc Va tacito e nascosto, The wise hunter 抜け目の無い狩人は Quand’avido è di preda, seeing prey 一度獲物を見つけると、 Làstuto cacciator. Goes silently and stealthily. 足音を忍ばせて、そうっとやって来る. E chi è a mal far disposto, And he who intends evil そのように悪事を抱く者は Non brama che si veda Will not wish to show L’inganno del suo cor. the deceit in his heart…. 心の策略が人に知られるのを望まない

  • 3/15/2021 フィルム・レビュー「ミス・アメリカーナ」

    主演: テイラー・スウィフト PG-13 https://www.youtube.com/watch?v=40RsbcFRwNA テイラー・スウィフトの生涯に関するこの2020年のドキュメンタリーを観て私は驚愕した.彼女はとても才能のあるシンガー・ソングライターだと思うが、私は彼女個人のことをあまり知らなかった.この映画は、幼少時から、彼女が今日のスーパー・スターになるまでの過程をたどっている. テイラーはペンシルベニア州ウェスト・レディングで生まれた.テイラーとその家族は、テイラーが「音楽のキャリアの夢を追求する」ためにテネシー州ナッシュビルに引っ越した.幼い頃から作曲、演奏できる子供として、彼女がいかに才能に恵まれていたかをこのドキュメンタリーは語っている.彼女を撮ったホーム・ヴィデオは、幼少期から彼女の顕著な才能をあらわしている.また彼女は名声の浮き沈みと彼女の人生に影響を与えた人々について非常に率直に語っている. 私は.彼女をパフォーマーとして尊敬していたが、過去に起こった彼女の人生のさまざまな出来事が彼女のキャリアにどのように影響したのか、全く知らなかった.幼い頃からメディアの注目を集めてきた彼女は、摂食障害、性的暴行、自尊心の問題に苦しんでいた.彼女は自分の人生の出来事がどのように彼女を形作ったかを正直に説明している. テイラーと彼女の友人や家族とのインタビューを通して、またホーム・ヴィデオ、新聞の切り抜きを通して、このドキュメンタリーはテイラー・スウィフトがいかにオープンで正直な人物であり、彼女が自分の名声を獲得するために、いかに真剣に真実を話すことに取り組んでいることを語っている.私はこのドキュメンタリーに非常に感銘を受けた. https://www.youtube.com/watch?v=nDzhoofkRJI

  • 3/12/2021 オーディオで聴く音楽と音について

    マニアではないが コロナ禍で自宅にて、映画鑑賞に加えて、音楽を聴く機会が増えた.再生 音楽をオーディオ・システムで聴く時、音の「ダイナミクス(dynamics)」や「ダイナミック・レンジ(dynamic range) 」という表現を耳にする. 音楽の作曲や演奏における「ダイナミクス」と云うのは、象徴的なものとして「pp(ピアニッシモ、とても弱く)」「mf(メゾフォルテ、少し強く)」、「f(フォルテ、強く)」のような強弱記号で表され、音楽または音色表現の強弱を示す場合がある. 生演奏でない再生音楽をオーディオ・システムで聴く場合、スピーカーのダイナミクスが優れていると、より生の音に近く聴こえるとも云われる.音の「ダイナミクス」とは動的なリニアリティ(linearity 直線性)と置き換えてもいいかもしれない.スピーカーからどれだけ大きな音を出せるかということではなく、瞬間的に出さなければならない音を、どこまで瞬時に発することが出来るかということで、要は瞬時のトランジェントの(transient、一時的な)スピード感である. https://www.youtube.com/watch?v=oYYTeBvdixw&list=PLBoIBJQNyrwuenrqQw3jZS06x2Iw51F-z 分かりやすい例を挙げれば、隣の部屋で演奏される実際のピアノの音とオーディオ・システムから発せられるピアノの音とでは、どちらが生の音かは見えなくても聴けばすぐに判断できる.音色の違いも識別する要因でだが、それは周波数特性と音量がまったく同じだとしても、音のエネルギーが発せられる(burst)ときのスピードが異なるからだ.生のピアノの方が圧倒的に早く迫力がある.それが両者の音の存在感を決定的に違うものとしている理由だ.楽器がヴァイオリンの場合も結果は同じで、電気信号を音に変換するオーディオ・システムでは、このダイナミクスをいかに上げて生の音に近づけるかは難しい物理的課題或いは限界だ. オーディオにおける「ダイナミック・レンジ」は、録音再生できる最小と最大の音の比率、幅を表す尺度.大雑把には「ダイナミック・レンジ(音量の大小)」は「ダイナミクス(音楽表現の強弱)を構成する一つの要素である」と言い換えることもできる.ダイナミック・レンジの小さいオーディオ・システムでは大編成のオーケストラ演奏曲を生に近い迫力で聴くのは不可能だ. https://www.youtube.com/watch?v=D-_wqx76mpc ダイナミック・レンジを表す単位、最小音量と最大音量の関係を示す比率(倍率)をデシベル(dB)という.デシベルは対数(通常logと表記)なので、単位数が大きくなるにつれても比率は比例しない. デシベルと音量の関係と音の大きさの目安: 120dB 飛行機のエンジンの近く 110dB 建設現場のリベット打ち 100dB 電車が通るガード下 90dB 大声による独唱 80dB 地下鉄の車内(窓を開けた) 70dB 騒々しい事務所 60dB 普通の会話 50dB 都会の住宅地 30dB 静かな住宅地 電車が通るガード下(100dB)は普通の会話の音(60dB)の100倍、飛行機のエンジン音は1,000倍の大きさだ。6dBの差で2倍、10dBで3倍、20dBで10倍の大きさとなる.窓が開いた地下鉄車内は普通の会話の10倍の音の大きさだ. https://www.youtube.com/watch?v=K9YWvOidt24&list=RDK9YWvOidt24&index=1 市販のオーディオ・スピーカーのダイナミック・レンジは80dB〜100dBくらい. ベートーベンの交響曲第5番「運命」、ワグナーの「ワルキューレの騎行」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などのダイナミックレンジの大きな曲は 90dB以上あるオーディオ・システムで余裕を持って聴きたいものだ. オーディオは生演奏には絶対かなわないか? 「オーディオは生演奏には絶対かなわない」というような表現をよく耳にする.オーディオと生演奏は、両方の魅力、そしてお互いの一長一短があるはずだと思っている.オーディオをコンサートの代替でなく楽しんでいる粋人を何人も知っている. 一級のオーディオ製品は、技術(technology )と芸術(art)が最高点で融合する時に産まれるといわれる.技術は音響学的・電気的・機械的面を総合する製品作りをさす.オーディオにおける芸術性は、個性的で魅力的な音創り面と工業製品としてデザイン面に表現される.先に述べた「ダイナミクス」を向上させる目的は製品開発の最重要課題の一つだ. 自分の好みに合ったオーディオは生演奏とは全く異なる音楽の悦びを与えてくれる、それ自体が独立した存在ともなりうる.自分の愛機 (眺めるのも愉しい) からいかに素晴らしいサウンドを作り上げ、再生で聴く音楽というのは、コンサートで味わう音楽とは別世界なのだ.比較する対象でない別物だとも云われる.オーディオで再生音楽を楽しむ達人を「レコード演奏家」と言ったりもするほどだ. 生演奏の1番の魅力というのは、大音量、ダイナミック・レンジの広さ(再生空間の広さ)、音場に包まれる空気感といったものであろう.また、そのとき、その場所にいて、その感動を得るというリアリズムが堪らなく魅力的なのだと思う.こればかりは一般家庭のリスニング・ルームでは敵わない永遠の壁でもある.一方で生演奏は、座席による音響のムラがあるし、また演奏者の出来不出来によるムラもある.ダイナミックな迫力はあるのだけれど、結構雑というか不出来の時の生演奏ほど落胆するものはない.これであれば、家でオーディオで聴いているほうがずっとイイ、ということになる. その点オーディオは、当たり外れがなく常にベストの演奏、音響を時を選ばずして聴ける.生演奏は、生演奏.オーディオはオーディオというように楽しみ方を割り切るのが賢明だとも思う. そういう意味でも、生演奏とオーディオは持ちつ持たれつだし、楽しみ方はそれぞれ違うところにある、と思っているので、一概に、「オーディオは生演奏には絶対敵わない」などと言うつもりはない. 1980年代以降の「重厚長大から軽薄短小」と「アナログからデジタル」の波に呑み込まれて久しいオーディオ業界は、往時1970〜80年代の熱気はもはや無い.ヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聴く風潮を憂えている.昨今、自ら楽器を弾き、歌うDIYに勝る楽しみ方はないとつくづく思う.DIYできない人の戯言である. (3/14/2021) 菅原勲 小生、難しいことはサッパリ分かりませんが、若かりし頃は、例えば、五味康祐*の「西方の音」などを熟読して、高級な音響装置に憧れたものです.例えば、タンノイとかワーフデイルのスピーカーなど.しかし、一介の会社員が贖える価格ではなく、結局、身の丈に合った装置に落ち着きました.それに、どう足掻いても「生は缶詰に優る」からです.生より美味い缶詰はあるんでしょうか? 現在は、パソコンにイヤフォンを付けて聴いてる体たらくで、かなり堕落した音響環境です.共同住宅住まいでは、致し方ありませんが.と言うわけで、缶詰も乙なもんだと楽しんでいる次第です. * (五味康祐) オーディオ・クラシック音楽評論でも著名で、「オーディオの神様」とも呼ばれ、『西方の音』『天の聲 西方の音』『オーディオ巡礼』『いい音 いい音楽』などの著書がある. (Wikipedia)

bottom of page