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  • 執筆者の写真Takeaki Iida

9/25/2022 音楽家と作品への雑感 「ヘンデル」

第9章 フリードリッヒ・ゲオルク・ヘンデル Georg Friedrich Händel

(1685年~1759年 74歳没)    


ドイツのハレにJ.S.バッハと同年に生まれ、ハレ大学で法律を学んだ後、当時歌劇の盛んだったハンブルグに出た.その後、イタリアで活躍後にハノーバー選帝侯の宮廷楽長になったが、間もなくロンドンに出て歌劇を上演しロンドン市民権も得て、生涯ロンドンで活躍することになる.バッハが教会音楽家だったのと対照的に、ヘンデルは劇場又は公開演奏用の作品を中心としていて、ドラマティックで色彩的な要素が強く、特に合唱曲に優れている.


ヘンデルの作品を生で聴く機会は、自分の70年位前の若い頃に比べて近年は格段に少なくなっていると改めて感じた.この間にジャズ、ロック、ポップス、ラップなど若者が好む音楽が巷に溢れ、他方でクラシック音楽の生演奏を聴く機会は当時より増えたものの、マーラー、ブルックナー他の新しくステージに上がる機会が多くなった作曲家の作品に比べ、ヘンデルは求めて聴きにいかないと生では聴けない作曲家になりつつあると感じる次第だ.生で聴くにしても、当時のような宮殿の広間(Saal)や 小部屋(Raum)又は教会内で、楽器編成も当時の様式で聴くことは、日本では略不可能となってしまったと感じる.バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ハープシコードなどの弦楽器のみで演奏されるバッハ、ヘンデル時代の作品は、その端正な形式とテンポ良い曲想の運び、和声的な響きで近年に聞いても何とも聴き心地の良い音楽であると思う.


しかし、クラシック音楽を好きになれない多くの人が、ヘンデルなどの音楽を聞くと直ぐに、退屈に感じ面白くないと思うらしいが、私にはその理由を説明出来ない.残念ながら、どうしようもない致し方ないとしか言いようがない.

ヘンデルで先ず思い出すのはオラトリオ「メサイア」と「合奏協奏曲」だ.



※①「メサイア(救世主)」は、サー・エードリアン・ボールト指揮のロンドン交響楽団、同合唱団のLondonレコード盤で何度も聴いてきたが、今回、十数年振りに改めて聴き直すと矢張り良い.兎も角、和声とリズム、テンポが今の喧騒の世の中では貴重な精神的静寂の世界に連れ戻してくれる感じがする.特に、ジョーン・サザーランド(ソプラノ)の伸びのある高音の歌唱力には改めてその美しさに驚かされる.演奏はハープシコード、オルガンの音の上に、乾いたトランペットの音色が清々しく響き、歌手と合唱との調和が何とも美しく響く.長編のオラトリオ「救世主」の最後を飾る終末合唱(シュルス・コール)は、あらゆる点から、最も感動的な合唱で、規模も壮大で、まるでミケランジェロの壁画に生命を吹き込んだような名曲と思う.


他に、ザルツブルグのモーツアルト劇場でロバート・ウイルソン演出の公演(2020年1月)ビデオを鑑賞した.メサイアの演技を伴っての合唱、歌唱と管弦楽の形での舞台を観たのは初めてだが、セットや衣装は現代の意匠から遠く離れたSF的な無機質なものであった.音楽だけを聴いて空想の世界で音をイメージするのと、舞台上の具象化された人物などを観ながら音楽を聴くのとは、全く脳裏に映るイメージが違ってくるので、宗教曲「メサイア」は合唱、歌唱、管弦楽だけでの演奏会又はレコードやCDで鑑賞するのが私は断然好ましいと思った.



※②「合奏協奏曲 作品6」:(演奏:イタリア合奏団)を改めて通して聴いた.「メサイア(救世主)」と並んでヘンデルの代表曲だと感じた.「合奏協奏曲 作品6」を約3時間聞き通すのは、生では無理でもCDやレコードで十分に楽しめる長さだ.ワイングラス片手に涼しいそよ風に当たりながら聴けたら申し分のない曲だろうと空想を広げた.


※③「王宮の花火の音楽」:久しぶりに聴く、管楽器群の響き、特に高音のトランペットとホルンの透き通るような響きは悠久の世界観に漲る贅沢感がある.


※④3つの二重協奏曲 第2番ヘ長調(6楽章)及び第3番ヘ長調(6楽章)(Concerti a due cori)::上記に同じ.今の時代に又、直ぐに聴きたくなる音楽.


今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.

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