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  • 執筆者の写真Makiko Border

2/14/2021 「オンライン・コンサート」ノース・キャロライナよりライブ・ストリーム

先日、ライブ・ストリームで供されるオンライン・コンサートなるものを初めて体験した。地元の室内楽団 (https://www.carolinaphil.org/) による「ライブ・タイム」の演奏で、曲目はモーツアルトのピアノ協奏曲第23番、K.488.演奏前の指揮者(兼ピアニスト)による曲の解説が個人的にはとても楽しめた.このように耳慣れた名曲でも、ガイド(もしくはモーツアルトの意図とも言えるだろうか)を念頭に置いて聴くとまた全然違う趣や奥行を曲の細部に感じることができる.

特に印象的だったのはモーツアルトが第二楽章に選んだ調、F# minorの話だった.指揮者によると数あるモーツアルトのレパートリーの中で、F# minorで書かれたのはこの一楽章だけだそう.モーツアルトという作曲家の曲から私はあまり人間の生々しく激しい感情を感じることはない.唯一例外として思い浮かぶのはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、K.364の第二楽章だけれど、これはC minorで書かれており、これだけの哀しみを露呈するときにも選ばれなかった F# minorがここで一度使われたのは興味深いことだ.モーツアルトによって徹底的に避けられたというこのキーだが、単なる明暗や悲喜と呼べるもの以上の効果を曲全体にもたらしている。


それはさておき、協奏曲というと現在はオーケストラとソリストという華やかな編成が頭に浮かぶが、この晩の演奏は多分モーツアルトが意図した編成に限りなく近いものだったのではないかと思う.COVID‐19の影響で出演者の数が限られたためにそうなったのかもしれないが、コンサート・ホールではなく、多分当時の人々がサロンで聴いたようなこじんまりとした演奏で、それが逆に楽しめた.ミュージシャンにとっては、ソーシャル・ディスタンスを保ちながら互いの音のバランスを保って弾くのは難しいことだろう.散らばった分時差ができ、互いの音も聞こえにくいので、アンサンブルがうまく行かないという話も耳にする。またアンサンブルはお互いの表情や呼吸も演奏の重要な一部だけれど、マスクをしているとそれも十分に叶わない.

初めてのバーチャル演奏会、演奏が終わった時点で拍手が聞こえなかったときに、一番違和感を感じた.音というのは空気を媒介として伝わるので、その空気を共有していないオンライン・コンサートはライブと決定的に異なる.またライブ・コンサートでは音だけでなく五感で同時に色々なものを吸収している.けれども具体的にそれはどういう体験なのだろうか.バイオリストの友人によると、涙が出るような音を肌や耳で感じ取ると、それがずっと頭や体の中に記憶として残って、後になって再生することができるし、それがこれから先の一生の練習課題となっていくこともあるそうで、生演奏はやはり特別なもの、一緒の空間に身を置いて聞く、一緒に弾くと言うのは宝、とのことだった.聴き手もオンラインでは演奏を聴くという体験を取って代わることができないことをよく知っている.またすべてのライブ・コンサートがキャンセルされた状態が長引く現在、多くのミュージシャンの方々が試練の状況に置かれて続けている.多くのミュージシャンが普段から生活のため仕事を掛け持ちするケースも少なくないなか、そのような仕事(レストランやバー業界)の多くも大変な痛手を被った.


このブログは去年の4月時点でのNCの音楽業界の一部の状況を描いたものだが(https://www.ncarts.org/comehearnc/365-days-music/covid-19-pandemic-brings-unprecedented-challenges-music-industry)、それからもう10か月以上が経ってしまった.この方たちは現在どうしているのだろう.一日も早く生演奏が楽しめる日が戻ることを切に願う.

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