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  • 執筆者の写真Yuki T.

3/6/2023 本のレビュー、ベアテ・シロタ・ゴードン著、「1945年のクリスマス」日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

<あらすじ> 


ベアテ・ゴードン(旧姓シロタ)さんは、現在の日本国憲法の草案を書いた一人.当時、彼女は大学を卒業したばかりの22歳.オーストリア生まれのベアテさんは、音楽家の(ピアニストのレオ・シロタ)父親が日本で教えることになり、幼少時に戦前の日本へ移住.家には海外の有名な音楽家が集い、豊かな暮らしをするも、戦争が始まる直前に単身でアメリカへ留学.戦中はカリフォルニアのMills Collegeで過ごす.終戦4ヶ月後の1945年のクリスマス・イブに日本に戻り、長野へ疎開していた両親と再会する.

ベアテさんが見た当時の東京は、皇居以外は焼け野原.日英両語ができる人が少ないため、GHQに知り合いがいた彼女は日本国憲法を新しく作るにあたって(GHQでの肩書は民生局員なのだが)約2ヶ月で日本が民主主義となる日本国憲法の草案を書く、という大役を任命される.高校卒業まで過ごした日本は、男女平等とは程遠く、女性は不平等を我慢するのが当然、という慣習や法律を変えることに注力する.日夜、法律専門のベテラン男性たちと肩を並べて仕事に励む.

僭越ながら、写真は私の父の本への書き込み.ノートは2冊にもなった.





ここまではスムーズだが、ベテラン男性達は彼女の草案を読んで、ほとんどそれを削除してしまう.1945年のアメリカにも「完璧で本質的な平等」はなく、彼女の案はプログレッシブ(進歩的)過ぎた.ベアテは悔し涙にくれるが、疎開中は栄養不足だった両親にGHQで働いたお金や物を支給できるのは好都合だった.そして、いよいよ1946年に新しい憲法が発布される.

<ブック・クラブでの感想>


新年会をしながら、話合いは2時間半にもおよび盛り上がったブック・クラブ.感想の抜粋は以下.

  • 「意外と法案づくりのページは少なかったけれど、彼女の日本女性への想いは、その後のジャパン・ソサエティ等での活動に映し出されていますね.自分の法案を周囲の男性たちに説得できなかった後悔が何年も続いた部分など、人間として錯誤しながらも前向きに生きた彼女は立派です.批判もある様ですが、憲法づくりに女性を採用していなければ、どうなっていたかと怖くも思います.」


  • 「敗戦直後に志の高い若い女性が男性の中に入って日本のために憲法を書いたなんてこと自体、全く知りませんでした.原題はそういうことなんだなと.」


  • 「あまりにも興味深く2日間で読み終えてしまいました.ベアテさんはなんと「豊かな」人生を送られたのだろうと思いました(金銭的な意味ではなく).また、ロシア系ユダヤ人が、時代に翻弄された中で大きな犠牲を払いながらも強く生き抜いた人もいたのだなあと思いました.

日本国憲法に「男女平等」を書く、のところでGHQ案が最終的にはどのように日本国憲法となったのだろうと思い、他の理由で手に入れた添付資料と見比べながら読みました.「憲法カフェ」という憲法9条を守る会のセミナーに行ったときに教えていただいた資料です.


私はまだ勉強不足で改憲派でも護憲派でもありませんが、正直この自民党案を見たときなんでこんなに全部変えてしまうんだろうと思いました.アメリカ(および他先進国)の憲法は「徐々に」改訂をして変わって行きました.


恥ずかしながら今の日本国憲法が生まれた背景がこのようなことだったとは知りませんでした.この本は改憲派にも護憲派にも読んでほしい本だと思います.昔、憲法学者から聞いた言葉で「憲法は理想の理念なんで」という言葉がありますが、もしそれが目的だとしたら私達はこれからどのような理念を築いていくのだろう、と深く考えてしまいました.」


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