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  • 執筆者の写真Takeaki Iida

5/22/2022 音楽家と作品への雑感「ドボルザーク」

第6章 アントン・ドボルザーク

Antonín Dvořák

(1841年~1904年 62歳没)

チェコのプラハ近郊のネラホゼヴィス (Nelahozeves, ドイツ語名 ミュールハウゼン, Mühlhausen) に生まれ、オルガン学校で学んだ後、チェコ国民歌劇場のビオラ奏者を務めながら、同劇場の指揮者であったスメタナからチェコ国民音楽の創造に強い影響を受けた.


オーストリア政府奨学金を獲得した際に、その審査員であったブラームスの知遇を得て、作品が世に出るようになり、作風もブラームスの影響を強く受けている.アルト歌手アンナと結婚し、ビオラ奏者を止めて教会のオルガニストに就任.ブラームスはドボルザーク独自のスラブ様式を高く評価し、以後二人は終生変わらない友情で結ばれる.取り分け、ブラームスの推挙の出版社からの依頼で作曲した「スラブ舞曲第1集」(37歳時作曲)※① は彼の名を一躍有名にした.イギリスにも数回旅した順調な歩みの間に、長女を含む3人の幼児が相次ぎ死ぬという不幸に見舞われ、名作「スターバト・マーテル」※② は、この悲しみを聖母マリアに見出したカンタータである.プラハ音楽院教授にも就任し、米国のナショナル音楽院からの招きで渡米し、名曲「交響曲第9番 “新世界より“」※③ を作曲し、「弦楽四重奏曲 第12番 “アメリカ“」※④、「チェロ協奏曲」※⑤ と2年間で代表作品を次々と作曲している.他にも、「セレナード ホ長調」※⑥ も美しい.


チェコの民族主義音楽はスメタナによって開拓され、ドボルザークによって国際的な広がりを見せた.スメタナが交響詩や歌劇で民族主義を打ち出したのに対して、ドボルザークはブラームスの影響が強く、積極的なチェコ民族音楽の響きは少なく、むしろ、郷愁の甘美さへの陶酔すら感じさせる.


※①「スラブ舞曲 第1集」(1878年作曲)の8曲はジムロック(Simrock)出版社からブラームスの「ハンガリー舞曲集」と同じ趣向の作品を依頼したことにより作曲.「スラブ舞曲 第2集」(1887年作曲)は第1集の成功により、その後に作曲された.民族音楽の面白さに加えて管弦楽曲として楽しめる.



※②「スターバト・マーテル」は、私が高校大学時代を通して所属していた混声合唱団倶楽部で1958年に東京のホールで全曲を歌った想い出のある曲で、改めて聴き直すと、穏やかな気持ちにさせられる大変な名曲である.「スターバト・マーテル」の作曲ではロッシーニ他の名曲もあるようなので、時間を見つけて是非一度は聴いてみたいと思う.⇒ 当時、混声合唱団で使用した楽譜.

※③交響曲第9番“新世界より“」は、ドボルザークの最後の交響曲で、特に演奏機会が多い名曲.アメリカの音楽院の校長として3年間ニューヨークで過ごした時の赴任直後に作曲された.アメリカ音楽の影響も多少感じられるが、アメリカからボヘミアへの郷愁を音で綴ったという印象の方が強い.直、「交響曲第8番」は“新世界より”に続き演奏機会が多い交響曲で、自然に音楽が流れ最もメロディーが多い名曲と言われているが、私は未だ聞く機会が少ないためか、今回の再聴では左程の共感を持てなかった.


※④「弦楽四重奏曲 第12番 “アメリカ“」は、“新世界より”と同じく、アメリカ滞在中にチェコ移民の住むアイオワ州の村で作曲された曲で、同郷の人達に囲まれ、随所に郷愁を誘う美しい旋律が満ちている私の大好きな名曲.


※⑤「チェロ協奏曲」もアメリカ滞在中の作曲で、超絶な技法のチェロと豪勢な響きの管弦楽が交響曲的に絡む作品で、古今のチェロ協奏曲中でも最高傑作の一つである.


※⑥「セレナード ホ長調」作品22は弦楽合奏からなる5楽章の作品だが、聴き心地のよい美しいメロディーが弦のみで奏でられる名曲である.


今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.



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